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西洋美術館での抗議活動について

Text by 松浦寿夫

コラム

2024.9.12

この文章を執筆している時点でも、日々更新される情報から、国際司法裁判所によるラファ攻撃の中止命令にも関わらず、イスラエルによるパレスティナの人々に対してのジェノサイドはとどまることなく展開されている。アメリカの大統領、並びに大統領補佐官によるジェノサイドを否定する発言にも関わらず、現在進行中のイスラエルによる暴挙はあらゆる点で、国連のジェノサイド条約の規定に該当することは否認し難い事実である。そして、このような犯罪的な発言にも関わらず、アメリカ国内でのパレスティナにおける虐殺に抗議する運動はその拡がりをさらに拡張させつつある。また、この抗議活動がアメリカにとどまらず、世界各地で繰り拡げられていることは日々の報道からも明らかである。とはいえ、抗議活動の拡がりとともに、西欧諸国でのこの活動に対する弾圧は強化され、警察による暴力も拡大しつつある。例えば、フランスにおいても、「不服従のフランス(LFI)」党のマチルド・パノ国民会議議員とリマ・ハッサン欧州議会選挙候補者の二人が、そのイスラエルによるジェノサイドに対する抗議の発言において、「テロリズム擁護」を行なったという嫌疑で事情聴取のために警察への出頭要請を受け、また、LFI党首のジャン=リュック・メランション氏の講演会が度々中止を余儀なくされるなど、イスラエルに対する抗議活動はきわめて具体的な弾圧対象となっている。また、彼らが演説で口にした蜂起(soulèvement)という語が、インティファーダを意味するとして、非難されたことも指摘しておきたい。法の恣意的な行使によって、あらゆる言動が、あらゆる単語が「テロリズム擁護」という解釈のもとに収奪される現実が可視化されつつある。そしてこれらの弾圧の行使に際しての口実は、「テロリズム擁護」と同時に「反ユダヤ主義」という二つの論点の理不尽な適用に基づいている。

改めて繰り返すまでもなく、イスラエルへの抗議はテロリズムの擁護でもなければ反ユダヤ主義の行使でもない。実際、いち早くイスラエルによるジェノサイドを批判し、具体的な活動を推進しているアメリカの団体が「平和のためのユダヤ人の声」であることも強調しておきたい。そして、イスラエルに対する批判が反ユダヤ主義とは決定的に異質なものであることを強調し、ユダヤ性の新たな定義を確立しつつあるこの団体の活動は、反ユダヤ主義という名の下での非難やプロパガンダに対してのきわめて有益な防波堤を形成しえている点もまた積極的に評価されるべきである。何れにせよ、これほどの規模での虐殺行為は前代未聞であるとしても、イスラエルによるジェノサイドは昨年10月7日以後に始まったわけではなく、1948年以後、4分の3世紀以上にわたって組織的に遂行されつつある点を忘れてはならないだろう。

今年の6月17日から21日にかけて、パリ郊外で、「防衛と安全」に関わる産業、端的に言って軍事産業の世界最大の国際見本市であるEurosatory2024の開催が予定されている。この国際見本市には2000社を超える数多くの国の企業の出店が予定されている。現在公表されている出店リストには、日本からも、防衛装備庁(ATLA)と東芝システムズとが明記されている。また、74にものぼるイスラエルの主要防衛産業(そのうち、10社程度が武器の製造に従事している)の参加がすでに登録されていた。(cf. https://www.eurosatory.com)そして、世界各地で開催される武器見本市へのイスラエル企業の参加は拡大傾向にある。しかも、これらの企業の展示する商品は”combat proven “、つまり実戦において有効性が検証済みであることが積極的に喧伝されることになる。ここでいう実戦が何を指すかは改めて指摘するまでもないだろう。パレスティナで展開するジェノサイドはイスラエルの軍産複合体の実験場であると同時に商品在庫の活用の場を形成しているということだ。そして、5月14日の抗議活動以後、イスラエル企業の出店ボイコットの運動がフランスでは形成されつつあり、また、国会での質疑でもこの問題が取り上げられた。そして、5月31日にフランス政府の決定により、急遽、この見本市へのイスラエル企業の参加が拒否されることとなった。(cf. https://www.aljazeera.com掲載の5月31日付の記事、” France bans Israeli companies from weapons exhibition”および、https://liberation.frの5月31日付の記事、 “Le gouvernement français annule la venue des entreprises d’Israël au salon mondial de l’armement Eurosatory”)この突然の決断の背景には国際司法裁判所によるラファ武力攻撃の停止命令が発出されたことと、5月27日のイスラエルによるラファ地区避難キャンプへの爆撃による虐殺行為を機にさらに拡大し続ける国内での連日の抗議活動があることは疑いようがない。

長い導入となったが、2024年3月11日に国立西洋美術館の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展内覧会での抗議活動もまた、改めて指摘するまでもなく、この世界的な文脈の中に位置付けられるものである点を強調しておきたい。このような状況において、川崎重工業をはじめとして、日本エアークラフトサプライ、海外物産、住商エアロシステムの四社が、現時点においてもなお、イスラエルからの攻撃用ドローンの購入計画を維持し続けていることは異常としか言いようがない。例えば、伊藤忠はその系列子会社である伊藤忠アビエーションとイスラエルの最大規模の軍事企業であるエルビット・システムズとの協力関係を本年2月をめどに解消するという声明を発表していることからも、川崎重工をはじめとする上記4社の姿勢の異様さは際だったものであることは明らかだろう。

そこで、以下に、今回の一連の抗議活動の諸局面を時系列に沿って記述しておきたいと思う。すでに新聞報道をはじめとして、幾つもの詳細な記述が提示されているので繰り返しになるかもしれないが、この活動に参加した同展出展作家の一人として、改めていまなお継続中の活動に関して以下に記載しておきたい。なお、筆者はすでに『群像』誌2024年6月号に、この件に関する「組織化された自律性」と題した文章を執筆し、ネットでも公開されているため、本稿の内容との重複に関してはあらかじめお詫びしておきたい。(註1)

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註1 『群像』に発表した拙文の題名、「組織化された自律性」という語は、1970年代にアントニオ・ネグリたちが形成した運動体の名称、Autonomia Organizzataに依拠しているが、また、もう一方で、自らの制作を「組織化された感覚の論理」の実現として思考していたセザンヌに依拠している。セザンヌ自身の発言、書簡などに政治的な主題を論じた発言を見出すことはほとんどできない。だが、1905年の日付の特定できないエミール・ベルナール宛の書簡で、カミーユ・ピサロとアナキズムについて言及した箇所がある。ピサロは一時期、分割主義の点描技法を採用したが、この技術体系は視覚混合の原理に立脚したものであり、個々の小さな単位に分割された筆触は隣接する他の筆触と視覚的に融合することをその定位として条件付けられている。つまり、個々の筆触は自律的な存在として自らを顕示するのではなく、融合されなければならないことになり、それはまた、個々の感覚の自律性の放棄を強いることにもなる。その点で、セザンヌの思考はこの技術体系に依拠した分割主義の思考を受け入れることはできなかったはずだ。というのも、個々の筆触=感覚は自律的でありながら、他の筆触=感覚との遭遇の通路―それがパッサージュである―を介して、可変的に連繋し、組織化されなければならないからだ。そして、この書簡で、習作において筆触=感覚の組織化を実践することによって、ピサロは自らのアナキズム的な思考を再考せざるをえなくなったと指摘している。この一節は制作が政治的な思考に作用しうる点を明晰に指摘すると同時に、その思考の横断性によってネグリたちの思考との接続の通路を描き出しているといえるだろう。

3月11日、12時45分から、西洋美術館地下ホールにて、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展のプレス内覧会が開催された。まず出品作家の紹介の後、本展企画担当者である同美術館主任学芸員である新藤淳氏による企画主旨の説明が行われたが、この間、新藤氏の背後で起立していた飯山由貴氏が、新藤氏の発言終了直後に、マイクを借り受け、今回の抗議活動の声明文を朗読した。この抗議声明の主旨は以下の3点に集約される。まず、現在、イスラエルがパレスティナの人々に対して行なっているジェノサイドを告発し、直ちにこの残虐な行動の停止を求めること。そして、西洋美術館とオフィシャル・パートナーシップを締結する唯一の企業である川崎重工業株式会社に対して、イスラエル製の攻撃型ドローンの輸入販売を取りやめることの要求。そして、西洋美術館に対して、オフィシャル・パートナーである川崎重工に、イスラエル製の武器の輸入販売の取りやめるよう働きかけることの要求である。そして、飯山さんの朗読が続く中、筆者は出品作家席でFree Palestineと書いた横断幕を掲げ、また、今回の抗議活動に賛同する友人たち、市民有志たちが、「川崎重工 虐殺に加担するな」という巨大な垂れ幕を広げ、声明文のチラシ配布を行い、この間、コール・チャントが繰り返された。この抗議活動の展開する中、美術館からの直接的な介入はなく、抗議活動は続けられたが、参加作家の一人が大声で怒声を上げたのを機に、美術館職員の方々による内覧会出席者の方々を展示会場に誘う対応がとられ、会場に残る人々の数は著しく減少したが、抗議活動は続行された。また、その後、飯山さんら数人の参加者有志は美術館の床に直接横たわり抗議を続行した。そして、プレス内覧会後の一般内覧会の開始までの間の時間も、同美術館2階のバルコニーから上記の垂れ幕を広げ、館内の入り口前広場でのビラの配布などが行われたが、この時点で、美術館の職員の方々、数名の警察官の介入によって、抗議活動の中断が要請された。抗議活動は美術館の様々な場所で、同時的かつ散発的に遂行されたため、筆者もその全ての現場に立ち会えた訳でないため、残念ながら、その全容を記述することはできない。

その後、午後から同じ会場で一般内覧会が開催され、田中正之館長の挨拶と本展協賛企業への感謝の表明という簡潔なセレモニーの後に、内覧会来館者は展示会場へと移動した。そして、この内覧会のセレモニーが行われた場で、展覧会参加作家の遠藤麻衣氏とその友人の百瀬文氏によるパフォーマンスが予告なしに開始された。表面を汚し、赤い絵具を飛び散らした痕跡を留める白衣に身を包んだ二人は互いに手を取り、緩やかな速度で歩行を開始する。そして、何度となく、この会場を往復する歩行を継続した。予告が行われていなかったため、必ずしも大勢の目撃者がいたわけではないが、その場に居合わせた人々がこの行為を見続けていた。彼女たちは前方に視線を向けながらも、この場に居合す誰とも視線を交わらせず、どこか遠くを眼差すようであった。また、美術館職員、私服警察官らしき人物たちも遠巻きからこの場を監視し続けていた。そして、何度目かの往復の後に、二人がcease fire nowと書かれた布を広げて歩き出すや否や、二人の美術館職員が介入し、遠藤、百瀬両氏に対して、この一連のパフォーマンスの中止を強要することとなった。二人の歩行による往復運動は黙認していたにもかかわらず、即時停戦というメッセージの書き込まれた布の提示の段階ですぐさま介入が行われたことから、政治的なメッセージの発信の有無という点に介入に際しての美術館側の判断基準が設定されていることが類推できる―実際、メッセージの提示が禁じられ、それに従った後も、両氏は手をつなぎ、歩行を継続し続けられたのであるから―。とはいえ、この判断基準が美術館の内部で事前に決定され、共有されている基準であるのか、あるいは、二人の職員の個人的な判断であるのかは現時点においても定かではない。また、この間、私服警察官らしき人物たちがこの場に居合わせた人々の写真を撮影していたという報告も耳にしたが、二人の行為を凝視し続けていた筆者自身は残念ながら、そのような撮影行為を目撃できなかった。

これ以後も、一般内覧会が開催されている間、参加作家の友人たち、市民有志の方々による抗議活動とチラシの配布が、美術館前広場、美術館前の路上などで、分散的に遂行された。

この内覧会の場での一連の抗議活動は、その直後から、様々な媒体で論じられることになった。その一早い事例として、3月11日付の毎日新聞の記事がある。この記事は、限られた字数の中で、当日の出来事を要約している。とはいえ、この記事では、飯山由貴、遠藤麻衣、百瀬文という抗議活参加者の氏名は明記されているにもかかわらず、この抗議活動の宛先の一つである川崎重工業の名前は意図的に隠蔽されている。無防備な個人の名前は明示する一方で、企業名は隠蔽するというこの非対称的で不均衡な記述は単に犯罪的であるばかりでなく卑劣であるとしか言いようがない。そしてこのような報道姿勢こそが、個人の政治的な発言をより困難なものにするという点で、抑圧の原理として作動し、批判の可能な回路を事前に封鎖することに貢献するばかりであり、ジャーナリズムの任務の決定的な放棄の徴候を示している。その後の3月21日付の朝日新聞4月8日付の東京新聞など、様々報道媒体での記述においては川崎重工の名前は明記されていることを考えると、この毎日新聞の報道の異様さは際立ったものであると言えるだろう。(註2)

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註2 ここで、移住連(https.//migrants.jp)が2024年5月10日付で公表した「5月8日付毎日新聞記事への抗議と訂正を求める意見」が明瞭に指摘しているように、5月8日付の毎日新聞は「永住者、税金など未納は1割 厳格化めぐり国が初公表」とした大見出しでの記事を掲載している。このデータは入管庁が作成したきわめて限定的なサンプル調査にすぎず、永住者を母数とする調査ではなく、恣意的に抽出されたデータに過ぎない。このような恣意的な数字を発表することによって世論を誘導しようとする入管庁の悪質な姿勢を問うことなく、あたかも事実であるかのように記載することによって永住者に対する偏見を助長しかねないこの記事もまた、ジャーナリズムの名に値しない犯罪的な記事であることも合わせて指摘しておきたい。

ところで、当初の報道ないしSNS上などでの言及において、この抗議活動に対してもたらされた批判は主として、以下の3点に集約される。つまり、なぜ西洋美術館において抗議活動を行うのか、なぜ今回の企画展への出品を辞退せずに、展示に参加しつつ抗議活動を行うのか、なぜ抗議の意思を作品それ自体によって表明しないのかという3点である。この3点については、当日配布したチラシにあらかじめ明瞭に指摘しておいたことであるため、改めて繰り返す必要もないかと思われるが、ごく簡潔に応答を試みておきたいと思う。この点に関しては、飯山氏の今回の展覧会への出品作品が明らかにしているように、西洋美術館の基盤となる松方コレクションを形成した松方幸次郎は川崎重工の前身となる川崎造船所の初代社長であり、このコレクションの形成に投入された資金は、当時、海軍との密接な関係を維持しつつ拡張した造船業の収益によるものであった。そして、国立西洋美術館は2023年3月17日に、川崎重工とオフィシャル・パートナーシップの協定を締結している。しかも、これは同美術館の締結した唯一のパートナーシップである。この協定の発効により、原則的に毎月第二日曜日は「カワサキフリーサンデー」として、同美術館の常設部門の観覧が無料となる制度が実現することになった。この協定の詳細は不明だが、両者が対等性のもとにパートナー関係を締結したのであるとすれば、同美術館はこの対等性の原則に基づいて、川崎重工に対して要望を提起する権限を有しているはずである。

ところで、今回の抗議活動において飯山氏の声明では、イスラエルによるパレスティナの人々に対するジェノサイドを告発し、即時停戦、パレスティナ解放を求めると同時に、二つの具体的な要求を掲げていた。つまり、川崎重工に対して、イスラエルからの武器購入を中止することの要求と西洋美術館に対してイスラエルからの武器購入を中止するようにパートナーである川崎重工に要請すること、この2点である。西洋美術館が川崎重工と密接な関係性のもとに存在しているのであるから、川崎重工によるイスラエルの軍産複合体から武器を購入する計画を放棄することを求める今回の抗議活動を西洋美術館で行うことの正当性は、明らかではないだろうか。また、今回の抗議活動への参加者有志は後日、川崎重工本社前でも抗議活動を行ったことも合わせて指摘しておきたい。

なお、一部で誤解があるようだが、われわれは今回、西洋美術館に対して、川崎重工とのパートナーシップの即時解消を求めたわけではなくーもちろん、川崎重工が西洋美術館の文化的な権威によって自らの軍事的な側面での活動の隠蔽を遂行しようとしているのではないかという危惧は抱きつつもー、パートナーである川崎重工に対して、イスラエルからの武器の輸入、販売を放棄するよう要請することを要求した点は改めて強調しておきたい。そして、このパートナーシップが対等性の原理に基づいたものであるとすれば、この要請を実行するか否かはもっぱら西洋美術館の判断に全面的に委ねられている。西洋美術館からの要請を考慮するか否かは川崎重工の判断に帰属する問題であるが、少なくともこのような要請を行うか否かに関して、現時点においても、なお、西洋美術館からの明確な回答は得られていない。

第二の批判点に関していえば、われわれは参加を辞退せずに、今回の展覧会に出品すると同時に美術館の内部で抗議活動を行うことを選択した。この選択に対して、一貫性の欠如という批判もあったが、この種の批判に対しては以下のように応答しておきたい。確かに、イスラエルの軍産複合体からの武器の輸入、販売を計画するような企業と公的な提携関係を結ぶ美術館では展示はできないと主張することは、より良く一貫性を担保することになるかもしれない。とはいえ、われわれにとっての最も重要でかつ緊急の課題は川崎重工にイスラエルからの武器購入を断念することの要求であって、この目的の実現に際して、西洋美術館の内側で明確な抗議の意思を提示し、現在も進行中の出来事を可視化する上でもっとも有効な方法は、展覧会の内覧会の場において抗議活動を行うことであると判断した。実際、もし、展示への参加を辞退し、美術館の外部のどこかで参加辞退の抗議集会を行ったとしても、今回の活動以上に有効に問題点を可視化することはできなかったのではないだろうか。また、今回の抗議活動は出品作の展示会場ではなく、内覧会場や屋外敷地などで行われたことも指摘しておきたい。

第三の批判点に対しては、ごく端的に、作品は意見の表明の場ではなく、制作によって自己組織化されたものであると指摘するにとどめておきたい。そしてこの組織化は当然のことながら、制作の時間的な次元の組織化の結果でもある。そして、日々多くの人々の生命が刻々と奪われ続けている現状に対して、作品は遅れ続ける。この猶予を欠いた状況において、具体的かつ明確な抗議の意思表明の速度を優先せざるをえないことは明らかである。つまり、出来事の生起する時間の系列と作品が形成される時間の系列とは必ずしも同期するわけではない。そして、この非同期性の強いる苦痛とともに、抗議活動と制作とを同時に遂行すること、非同期的な二つの戦線で同時に闘うことが必要なのではないだろうか。

また、確かに例えば、ソーシャル・エンゲージド・アートと呼ばれる傾向をはじめとして、政治的ない社会的な事象に対して、それを直接的な主題として言及する作品群が存在することは事実であるとしても、これらの作品においてもまた、作品の組織化は意見の表明とは異なる次元に設定されているはずだ。また、すべての美術作品がこのような方向で制作されるわけではなく、絵画という媒体に固有の原理に応じて組織化される作品も存在しえる。この場合も、作品の組織化は意見の表明とは異なった論理で展開されることになる。例えば、良い比喩ではないかもしれないが、何らかの専門分野で自らの思考を展開している数学者に対して、抗議の意思を研究において提示せよという要請は奇妙なものとして理解されはしないだろうか。それでは、数学者は抗議の表明はできないのだろうか。そのようなことはないはずである。例えば、人間言語の普遍的な構造を記述しようとする壮大な願望のもとに生成文法の厳密な体系化に従事するノーム・チョムスキーが遥か以前からイスラエルによるパレスティナ占領を告発し続けていること想起してみよう。あるいは、厳密な定式化による楽曲を作りつつ、同じく長年にわたってイスラエルとそれを支援するアメリカとを告発し続けるブライアン・イーノを想起すべきだろうか(https://rockinon.com2014年8月1日付の記事を参照していただきたい)。あるいは、渡辺一夫が「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」(1948年)で取り上げたデンマークのフランス語文法研究者のクリストフ・ニーロップを想起することもできるだろう。彼らはいずれも自らの自律的な専門領域において厳密な作業に従事するとともに、きわめて明確な政治的な意思の表明も同時に展開していたのではないだろうか。そして、改めて指摘するまでもなく、彼らは言語学者や音楽家である以前に、あるいは、そうであると同時に一人の市民として意見を表明する権限を保持しているはずである。

何れにせよ、これら三つの型の批判は理にかなっているように見えるが、結局は一つの点に集約される。それは、現在もイスラエルによるパレスティナの人々に対するジェノサイドが進行しているという事実、川崎重工はこのイスラエルの軍事企業から、「実戦で証明済み」の攻撃型ドローンを輸入、販売することによってこのジェノサイドに加担しようとしているという事実、西洋美術館はこの川崎重工と公的な協力関係を公式に表明することによって、同社の軍事的な領域での活動の隠蔽に貢献することによって、同社のジェノサイドへの加担を放棄させようと試みることなく、この加担を保証しているという事実、このような一連の「不都合な」事実の可視化に逆らい、むしろそれらを隠蔽することに終始するということだ。その意味で、これらの批判はきわめて抑圧的に作用する反動性を帯びている。また、主旨には賛同するとした上での留保として、方法に問題がある、「表現力」がない、用いる言語が暴力的であるといった批判もいただいたことも指摘し、今後の課題として検討したい。ただ、最後の指摘に対して一言弁明を書いておくとすれば、現在進行中の事態は、最も暴力的な語をも圧倒する暴力の行使を示し続けていることは指摘しておきたい。

また、今回の抗議活動に参加しない理由として、主旨には賛同するが方法に同意できない、声明文の全てに同意できるわけではないというご意見もいただいた。ただ、今回の抗議活動への参加者たちが統一的なプログラムを事前に備えていたわけではなく、プログラムを議論する時間すらなく、また、参加者個々の個別的な創案をお互いに把握していたわけでもなく、その思考において統一されていたわけでもない。つまり、参加者自身もまた、相互に共有しえない側面を持ちながら、自らの自律性、特異性を維持しつつ、表現の自由の行使としてではなく、緊急事態を前にした共通の義務の遂行という点で、可塑的な自己組織化として連繋の線分を描き出したということだ。また、ここで個人的な参加の経緯を記しておけば、長年、パレスティナの問題に関心を抱き、ときに路上での抗議活動に参加していたが、内覧会前日に飯山さんから連絡をいただくまで、西洋美術館が川崎重工とオフィシャル・パートナーシップを締結していること、また同社がイスラエルから武器を輸入販売しようとしていること、この2点に関して全く把握していなかった自らの無知と不明を深く恥じることになった。そして、誰が参加し、どのような抗議活動が展開することになるのかも把握できぬままにーおそらく参加者の誰にとっても事前には把握できぬものであったはずだ―、内覧会前夜に、手持ちの画布と絵具でFree Palestineと描いた横断幕を慌てて制作することになった。

ただ、ここで強調しておきたい点は、3月11日付の朝日新聞の取材に対して、田中正之館長は「表現の自由の尊重」という美術館側からの良心的な反応を明示されているが、参加者各自は自らの表現の自由を行使することを目的としたわけではなく、パレスティナの人々に対して遂行されつつあるジェノサイドに、個人的な意図を超え出るかたちで、われわれもまた加担を強いられているがゆえになおさら深刻な義務の自覚と遂行とが必要だと考えたからに他ならない。とはいえ、今回の行動は統一的なプログラムによって規定されたものではなく、共通の義務の遂行という点で可塑的に形成された連繋であって、個々の参加者の自律性、特異性を集団の審級に解消することはあらかじめ回避されている。また、われわれは、誰に対してであれ、この活動への参加を強制する意図を持っていない点も強調しておきたい。そして、内覧会当日、予期せぬ仕方でこの抗議活動に立ち会うことに不快を覚えられた方々にはこの場をお借りしてお詫びしておきたい。

その後、3月20日に、飯山由貴、遠藤麻衣両氏と筆者は、西洋美術館からの要請で同美術館に赴き、田中館長、新藤主任研究員との会談の場を持ち、美術館側からの当日の対応に関する説明を受けた。とはいえ、この会談の時点において、内覧会当日の抗議声明において投げかけたわれわれからの問いかけに対して、美術館側からは明確な返答は一切示されることもなく、また、当日のパフォーマンスの中止要請、警察の介入に関しても詳細な把握がなされていたわけでもないことが明らかになった。ただ、美術館からの警察への介入要請はなされていないという点は田中館長から明確に指摘されたが、とはいえ、警察の館内への立ち入りの実態を十分に把握できていなかったことからも類推できるように、美術館側からの警察に対しての退去要請は行われなかったと考えて良いだろう。何れにせよ、この短時間の会談で数多くの点に関して議論を深めることはできず、実質的には顔合わせの機会でしかなかったが、お互いに今後の議論の回路を保つ点では合意を形成しえた。

その後、今回の抗議活動への参加者たちは、それぞれの場で、また、いくつかの会場で(例えば、NAMNAMスペースでの「パレスチナあたたかい家」の試みなど)、路上で、新たな連繋のもとで、抗議活動を継続し、現在も継続している。西洋美術館では、今回の企画展示の最終日である5月12日の日曜日、この「カワサキフリーサンデー」に該当する日に、西洋美術館前の路上で、2023年12月6日にイスラエル軍の爆撃によって虐殺されたパレスティナの詩人、リフアト・アルアライールの詩句を掲げて、午前と午後の2回、1時間程度の抗議活動を行った。筆者は午後の回にしか参加できなかったが、多くの方々が関心を持ち、立ち止まってくださったことに感謝している。また、積極的に声をかけてくださる外国人の方々も多数いらした。もちろん、路上でのスタンディングの際にはつねに起こりえることだが、今回も罵声を浴び、非難されることもあった。また、3月11日の内覧会以後、直接的にも間接的にも、あるいはSNSを通して、われわれのもとには数多くの心無い、ときにはほとんど人格否定を伴う罵詈雑言が投げかけられたこともあったが、批判は受け入れるとしても、それらがわれわれに痛みや無力感とともに何らかの刻印を与えたこともまた事実である。とはいえ、例えば、この展示最終日のスタンディング終了直後に、たまたま通りがかったヨルダン在住の3人のパレスティナ人の方々がFree, Free Palestineと声を上げながら、われわれに近づき、声をかけてくださった。彼らが感謝の表明の後、われわれが何らかの党派として、それとも個人として抗議活動を行っているのかと問われ、われわれが個人として、この美術館での展示に参加している美術家とその友人たちであり、この美術館のオフィシャル・パートナーの川崎重工がイスラエルから武器を購入しようとしていることに抗議している旨を伝えることができた。そして、このときに交わした言葉と力強い握手の刻印が痛みを凌駕するものであったことも事実だ。

最後に、この場を借りて、国立西洋美術館に対してのいくつかの問いを記載しておきたい。本来であれば、公開質問状として展示期間中に提出すべきものであったが、文面を整える時間的余裕がなかったため、このような形式で問いかけを行うことお許しいただきたい。また、同時に、同美術館からの明確な返答を期待したい。

1 今回の抗議活動において当初から要求した点に関わるが、西洋美術館はオフィシャル・パートナーである川崎重工に対して、イスラエルからの武器購入の計画を放棄するようにすでに要請したのか。もし、すでに要請したのであれば、それに対する川崎重工からの返答はどのようなものであったのか。もし要請していないのであれば、今後、要請する予定はあるのか、また、その予定がないとすれば、要請を行わない理由は何か。

2 内覧会当日に警察の介入を要請しなかったとしても、なぜ、警察の館内からの退去を要請しなかったのか。また、館内でパフォーマンスを見学していた人々の写真を無断で撮影し続ける警察の行為をその場に立ち会っていた美術館職員はなぜ制止しなかったのか。このような行為に対して、なぜ西洋美術館は警察に対して正式な抗議表明を行わないのか。

3 今回の企画展と会期が重なった、常設部門での「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」展の会場入り口に掲げられた解説パネルにおいて、当初、ウクライナ、パレスティナという語が現在進行中の戦争の事例として掲げられていたが、その後、会期中の何度かの書き直しの後に、最終的にこれらの具体的な場所の名前が抹消されている。この変更、抹消の決定はどのような理由によって、また、どのような審級によってなされたのか。

付記

この文章は6月下旬に執筆されたものであるため、執筆後から現在に至るまでの出来事への言及は含まれていない点を記しておきたい。

 

松浦寿夫
画家、美術批評家