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what’s on 調査・資料作成
2025.12.18
美術分野の活動発表における報酬のあり方についてより適正な形を実現していくため、art for allではアーティストの報酬ガイドラインの策定を目指しています。そのため、報酬および経費の支払われ方について実態の把握を目的に「アーティストの報酬に関するアンケート」を実施するとともに、海外事例の調査と既存のガイドラインの翻訳も進めています。世界においてアーティストの報酬はどのような実態にあるのか? 今回はイギリスの調査結果を報告します。(art for all)
イギリスの美術と報酬制度を読み解くには、まず国家の成り立ちと歴史の文脈を外すことができない。現在の制度や価値観の背景には、植民地主義や産業革命をはじめとする長い権力の積み重ねがあるからだ。英語を発祥とする文化的影響力、世界の主要国としての政治経済的な位置付け、それらが文化政策の基盤となり、美術界の制度やアーティスト支援の考え方に反映されている。本稿では、こうした歴史の層を踏まえながら、イギリスにおけるアーティスト報酬ガイドラインの発展と現代の支払い実態、そして今後の課題を整理する。
イギリスの正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」で、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの四つの「国」が、同君連合型の単一主権国家として成り立つ立憲君主制国家である。同国は2020年1月31日まで欧州連合(EU)に加盟していたが離脱した。
国際社会においては、国連安全保障理事会常任理事国の一つであり、G7とG20に参加する先進国でもある。また、経済協力開発機構(OECD)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州評議会の原加盟国であり、核拡散防止条約で核兵器の保有を認められた五つの公式核保有国の一つとして軍事力も保持する。ウィーン体制以降の国際秩序において、列強の一角を占めてきた歴史的立場は現在も大きく変わっていない。
経済面では、2025年時点の名目GDPで世界第6位、購買力平価で第9位に位置づけられ、世界有数の市場を形成する。ヨーロッパでは「ビッグ4」の一つとして扱われ、人間開発指数も高い先進国として評価されている。
同国はまた、民主主義、立憲君主制、議院内閣制など近代国家の基本制度の発祥地でもある。ピューリタン革命や名誉革命、産業革命といった歴史的転換点の舞台となったほか、シェイクスピア、ニュートン、ダーウィン、ファラデー、クック、フレミングといった科学者や文化人を輩出してきた。英語がビジネスや政治の分野で国際的な共通語として広く用いられるようになったことも、イングランドを起点とする歴史的影響力の大きさを示している。
極論を恐れずに簡略化すれば、1492年のアメリカ大陸「発見」とそれに続く大航海時代が、現在のグローバル社会の幕開けと位置づけられる。しかし、16世紀の世界の覇権はスペインとポルトガルの両国が握っていた。この旧体制が決定的に転換したのは、1588年のスペイン無敵艦隊(アルマダ)がイギリス艦隊に敗れた戦いである。これを契機に、スペイン・ポルトガル両国の優位性は後退し、イギリスが世界的覇者の地位を確固たるものとする流れが生まれた。
ここで世界の先頭を切って展開されたのが、後の資本主義の前提となる植民地主義、すなわち富(資本)と権力の徹底的な蓄積過程であった。イギリスには世界中の植民地から資源が流入し、奴隷制度を通じた富なども集積されていった。
国内政治を見ると、1642年の市民革命で国王が処刑され、王権制度は一時的に廃止された。しかし、約10年で合意の下に再び君主制が復活するなど曲折を経た末、最終的には現在に近い立憲君主制へと移行し、近代民主主義なども開拓されていった。
その後、アメリカ独立により一部植民地を失ったものの、産業革命が到来する。イギリス(主にイングランドとスコットランド)の田舎に存在した自由遊牧のための共有地(コモンズ)は、毛糸産業の資本主義化により私有地化が進行。これによって居住地を失った人々が都市に集中し、産業革命の条件が整えられた。この毛糸産業の効率化に端を発した産業革命と、ヴィクトリア時代に頂点に達した大英帝国・植民地主義をロンドンで目の当たりにしたカール・マルクスが「資本主義」を提唱し、その終焉を予言した「共産主義宣言」をエンゲルスと執筆したことは、歴史の必然とも言えるだろう。
20世紀に入ると、イギリスは二度の世界大戦で勝利国側に立ち、中東においてはフランスと共に優位な立場から、数々のグローバルな策動を実行した(パレスチナとイスラエル建国問題の歴史的背景には、イギリスの重大な関与が認められる)。そして、20世紀後半になってようやく、多くの植民地が返還され、あるいは植民地であった国の独立が進むこととなった。
興味深い余談として、一時期インターネット上で流通した、イギリスと戦ったことのある国を赤く記した地図がある。世界の領土の大半が赤く塗られており、この国が極めて好戦的な国家であったことが一目瞭然である。
さらに驚くべきは、1066年のヘイスティングズの戦いでノルマン族(現フランス)に敗れて以来、およそ1000年近くにわたり「敗北を知らない」という戦績である。これは単なる偶然とは断言できず、何らかの特異な戦略や要因が存在していると思わざるを得ないのだ。
数千万人の集団を一つの偏見的な形容詞で総括することは、繊細さに欠け、乱暴で失礼な行為である。しかし、もしその乱暴さを「一般的傾向」という言葉を借りて表現するならば、イギリスは制度の運用において「巧妙(ズル)」であるという傾向が見られる。
この表現は誤解を招くため補足するが、ここでいう「巧妙(ズル)」とは、ルールを無視した不正行為というよりも、制度の穴、あるいは制度が確立する以前に、自国の利益となる行動を先行して進め、そして、その倫理性が問われると、立場を一転し、今度は追随してきた他国を批判することで、優位的な立場に立つことに長けている印象がある。
例えば、今日のポストコロニアリズムは、まさにイギリスで活発に展開されている美術や思想の主要な原論の一つである。最もその歴史的な罪が重いのは正しくイギリスであろうにもかかわらず、現在では思想的にも美術の言説においてもその批判性が盛んなイギリスが、ポストコロニアリズムの一種のリーダー的存在として位置づけられている。
具体的な事例として、世界でも最多の年間来場者数を誇る現代美術館、テート・モダンが挙げられる。この「Tate」の冠は、植民地時代に奴隷売買や植民地での砂糖搾取産業などの大西洋三角貿易を通じて資本を蓄積した砂糖業の王者、サー・ヘンリー・テート(現在も健在のTate and Lyleという砂糖会社)のコレクションが寄贈されたことに由来する名称である。
もちろん、イギリス国内においても多様な考え方が存在し、メディア、イベント、学術界では、こうした名称やブランドのイメージ操作や歴史的背景に対してしっかりと議論がなされており、より公平で先進的な社会を構築する方法を模索している人々がいるからこそ進展している。しかし、イギリスは基本的に過去の植民地時代の出来事を謝罪しない姿勢や、それによって得られた歴史的な「先進性」を自ら認識していない印象があり、そもそもその優位なポジションを正しく理解していないように感じられる側面もある。
もしこれを徒競走に例えるなら、選手が他の選手より先に走り出し、進んだところから「平等」に競い続けることを主張しようとするようなイメージに近いかもしれない。現在のスポーツのルールからすれば、スタートのやり直し、あるいは場合によってはフライングをした選手が失格になる状況であろう。しかし、周囲から見ると「巧妙(ズル)」をして先行した分には気づかない、あるいは気づかないふりをして、優位的なポジションを「リーダー」のポジションにすり替えるところが、イギリスのしたたかな側面であるように思える。
では、美術と報酬、すなわち助成や支援制度はどのような関係にあるのだろうか。イギリスにはアーツ・カウンシル・イングランド(Arts Council England, ACE)という、助成金や芸術に関する強力な機関が存在する。この「アーツ・カウンシル」という名称が日本の類似機関にも採用されるほど、その影響力は大きい。この機関の存在は、20世紀に発展したリーダー的な立ち位置と、芸術発信者としてのイギリスの立場を如実に示しているのではないか。
この「フライング上手」ともとれるイギリスから一体何を学ぶことができるのか。美術業界におけるアーツ・カウンシル・イングランドの発祥とその歴史、そして現存するいくつかのアーティストフィー(芸術家報酬)の事例を取り上げ、検討していく。
英国におけるビジュアル・アーティストの公正な報酬の問題は、数十年来の懸案事項であった。当初、アーティストは標準化された料金なしで活動し、報酬はその場限りか交渉に頼ることが多かったのである。アーティストの報酬を公式化し、標準化するための協調的な取り組みが行われるようになったのは、比較的最近のことである。
公の場での展示に対するアーティスト・フィーの支払いの最初の例は、1979年にアーツ・カウンシル・オブ・グレート・ブリテンによって実施された「作品展示に対するアーティストへの支払い」制度にまで遡ることができる。この制度は、公共スペースで作品を展示するアーティストに対して、個展1回につき100ポンドという標準料金を定めたものだ。この政策の躍進には、コンラッド・アトキンソンをはじめとするアーティストたちの事前のロビー活動が大きな役割を果たした。
1983年、英国アーツカウンシルは、この制度を3年間の試行期間として地域芸術協会(RAA)に委譲した。同時に、英国以外の国においても独自の展覧会支払い制度を開発していた。しかし、試行期間終了間際、イギリスの地域芸術協会協議会(CoRAA)が実施したレビューでは、国全体で統合された展覧会支払権利スキームの共通合意を確立することはできなかった。その結果、各協会やアーツカウンシルは、アーティストへの支払いの価値に対するそれぞれの視点を反映し、独自のスキームを追求した。
アーティストへの支払いのための予算配分にもかかわらず、普遍的に採用されるスキームの実現は困難であることが判明した。資金提供団体間の集団的な合意がなかったため、手数料率や条件が異なる支払いスキームがさまざまに解釈された。エキシビション・ペイメント・ライト(展覧会参加報酬権)を国家的拘束力のある法律に組み込む努力は、それ以上追求されることはなかった。
クレア・ビショップ(※Claire Bishopは、イギリスの美術史家、批評家であり、2008年の9月からはニューヨーク市立大学大学院センターの美術史の教授として教鞭をとっている。ビショップは、ビジュアルアートとパフォーマンスへの参与の中心的な理論家の一人として知られている。彼女が『敵対と関係性の美学』と題して2004年にオクトーバー誌から出版した論文は、関係性の美学の批評として影響力を残した)は、1990年代以降、「創造性(Creativity)」がニューエコノミーにおける重要な用語へと変貌を遂げ、アートの枠を超え、コマーシャル主導のさまざまな活動を包含するようになったことを観察している。ビショップは、「クリエイティブ産業」、「文化産業」、「アート」、「エンターテイメント」といった用語が混同され、主に金銭的価値に還元されていることを批判している。経済成長のために創造性を重視する新労働党(2000年前後のブレア政権)のようなイニシアティブに代表される文化政策への道具的アプローチは、特に識字率や計算能力と並んで創造性を促進する教育調整の文脈で懸念を提起している。
70年代にイギリスを襲った不景気を克服して90年代から、サッチャー(※マーガレット・ヒルダ・サッチャー(英: Margaret Hilda Thatcher、1925-2013)は、イギリスの政治家。 首相(第71代)、教育科学相、庶民院議員(9期)、貴族院議員、保守党党首(第15代)を歴任した。 保守的かつ強硬なその政治姿勢から「鉄の女(Iron Lady)」の異名で知られる。)の進めた新自由主義経済に追い風を受けて進められたクリエイティブ・産業のが行われた。2000年にはテート・ブリテンから独立し、近現代美術を専門とする世界最大の美術館テート・モダンが設立された。そして、2001年のイギリスの白書「Culture and creativity」を皮切りに、イギリス政府や欧州委員会の報告書「GREEN PAPER 文化・クリエイティブ産業の可能性を解き放つ」が「Creativity」産業の経済ポテンシャルに着目して、それに対する国家戦略的文化予算を増やしてArts Councilを設立したりするなどの再編が始まった。これが日本の「クール・ジャパン」の標語のモデルとなった「Cool Britannia」だ。その結果、クリエイティブ産業の経済規模は大幅に大きくなり、とりわけイギリスは美術業界でも最先端を行く文化輸出大国となったのである。
こうして、世界でもこのような潮流が主流となり、「クリエイティブ」が持て囃され、その産業の拡大に伴い働き方も多様化した。21世紀ではクリエイティブ産業の参加者はアーティスト、インストーラー、インデペンデント・キュレーター、インデペンデント・リサーチャー、フリー・ライター等自由度の高い専門職が増え、生態系が豊かになったことで、そのライフスタイルも多様になっていった。仕事の条件や場面も多様化し、それらに合わせて、支払の条件も一元的ではなく、各条件や交渉により決定されるという状況は前進した。美術業界は安定した景気に甘んじて現場では新自由主義経済に身を委ねた曖昧な状況が常態化した。
これは逆説的にクリエイティブ産業ではフリーランスが増え、働き方の柔軟性と引き換えに生活の責任を各自が背負い、その不安定さを個人が引き受ける事になった。通常成長経済には問題なかったのかもしれないが、2008年の金融危機、2020年のコロナ禍などといった経済後退期に入ると後ろ盾のない個人個人が一気に打撃を受け総倒れするという危機を招いた。
ACEのルーツは、第二次世界大戦中の1940年に設立された音楽芸術奨励評議会(CEMA)に遡る。当初は英国文化の振興と維持のために任命されたCEMAは、戦後に変貌を遂げ、最終的にはアーツ・カウンシル・オブ・グレート・ブリテンとなった。この組織は、特に戦後の復興と文化の充実に重点を置き、さまざまな芸術活動を支援する上で重要な役割を果たした。
初代会長である経済学者のジョン・メイナード・ケインズの初期のリーダーシップは、アーツカウンシルの構造と資金調達に大きな影響を与えた。ケインズは、その政治的影響力を駆使して多額の資金を確保し、その大半をロイヤル・オペラ・ハウスのような彼と親しい関係にあった団体に振り向けた。この時期は、アーツカウンシルが財務省に直接報告するという、芸術政策と政府との「アームズ・レングス」の関係の先例となった。
1946年のケインズの死後、資金援助は縮小に直面したが、アーツカウンシルは、特にフェスティバル・オブ・ブリテンの期間中、その貢献が認められ続けた。そして、1960年代と1970年代は、アーノルド・グッドマンとジェニー・リー芸術相のリーダーシップのもと、ACEの黄金時代となった。芸術団体のネットワークを拡大し、巡回展を設け、1968年にはロンドンのサウスバンクにヘイワード・ギャラリーをオープンした。
しかし、その後数十年間は困難が続いた。1970年代から1980年代にかけて、ACEは、特にノーマン・テビットのような人物から、エリート主義や政治的偏見に対する非難に直面した。政府からの助成金には上限が設けられ、実質的な減額につながった。1987年には、ロイ・ショーとウィリアム・リーズ=モッグに触発されて再編成が行われ、ACEの助成金を受ける団体が半減した。この時期には、企業スポンサーシップの奨励も強化された。
1994年、ACEは大きな変革を遂げた。イングランド・アーツ・カウンシル、スコットランド・アーツ・カウンシル、ウェールズ・アーツ・カウンシルに分割され、それぞれが英国王室御用達となった。同時にナショナル・ロッタリー(国営宝くじ業)が設立され、これらのカウンシルは分配を受ける機関となった。新たな責任を負ったACEは2000年代、エリート主義、官僚主義的非効率性、資金決定をめぐる論争などの批判に直面し、2005年には予算上限が設定され、3,000万ポンド(現在の約60億円)が削減された。2020年、ACEは「クリエイティブな人々」「文化的コミュニティ」「クリエイティブで文化的な国」に焦点を当てた10年戦略「Let’s Create」を発表。この戦略では、「野心と質」「ダイナミズム」「環境への責任」「包括性と妥当性」といった原則が強調されている。
現在、アーツカウンシル・イングランド(ACE)は年間約4億4600万ポンド(約855億円)の予算を持ち、芸術・文化部門に対する英国の主要な公的助成団体として位置づけられている。数多くのイニシアティブを幅広く支援しているにもかかわらず、ACEの助成金申請プロセスは複雑で厳しいガイドラインで知られている。ACEは主に2種類の公的資金を提供している:
クリエイティブ・プラクティス開発助成金(DYCP): 1,440万ポンドが割り当てられたDYCPは、個人や小規模なクリエイティブ・グループを対象としている。DYCPは、個人や小規模なグループとの関連性から、今回の議論の焦点となる。
ナショナル・ロッタリー・プロジェクト助成金(NLPG): 1億1,680万ポンドが割り当てられ、この基金はより幅広く、年間を通して利用できる。
ACEの申請成功率は全国で10~20%。申請書はACEのプラットフォームであるGrantiumを通じて提出され、各助成ラウンドごとに締め切りが定められている。
DYCPは、2018年の創設以来、さまざまな分野で4,000人以上のクリエイティブで文化的な実践者を支援することを目指している。研究、新しいスキルの習得、新しい実践の実験などの開発機会に焦点を当て、最長1年間のプロジェクトに2,000ポンドから12,000ポンドの資金を提供している。またDYCPの特徴としては、決まっている展覧会や不特定多数を対象としたアウトプットを支援する助成ではなく、むしろ、アウトプットが決まっていない活動などを助成の対象としていることである。例えば、ACEがDYCPの対象と認める活動には、以下のようなものがある:
– 新しいネットワークの構築
– 新しい仕事の創造
– 共同研究者やパートナーとの実験
– 指導や探求のための海外旅行
– 専門能力開発活動
– 実践探求のための研究開発
– 将来の持続可能な活動のための活動
DYCPの助成対象は幅広く、ダンサーや音楽家からキュレーターや芸術教育者に至るまで、あらゆるレベルやキャリアの段階にある創造的・文化的実践家を対象としている。応募資格は、18歳以上であること、正規の教育以外でクリエイティブな分野で1年以上の経験があること、英国の銀行口座を持っていることと極めてゆるい(実際の審査は厳しい)。また、特質する点としては、提出する書類の中に必ず「自分のフィーを計上したか」というところにチェックを入れなければならない。つまり、自分が申請するプロジェクトにおいて自分が行う労働を見積り、予算作成の際に含める必要があり、自らに依頼しているとはいえ「ただ働き」は許されていないのである。
a-nが策定したExhibition Feeのガイドラインは、公的な機関での展示に参加するアーティストを対象とし、展示機関の規模と年間予算に基づいて四つのカテゴリーに分類している。カテゴリーAは小規模、カテゴリーDは大規模機関を指す。各カテゴリーで推奨される報酬額は、新作と既存作品で区別されており、小規模機関で8万円台から始まり、大規模機関では30万円から50万円を超える金額が示されている。
これらの金額は、アーティストが制作にかけた時間に対して適切な報酬を支払うという考え方に基づいているが、円換算値についてはいつの為替レートで算出したものか明記されておらず、実際の運用の際には必ずレートの更新が必要となる。
また、ガイドラインの構造については、前半と後半の文書が内容的に重複している部分がある。整理すると以下の通りである。
A:新作約162,000円、既存約81,000円
B:新作約180,000円、既存約90,000円
C:新作約360,000円、既存約180,000円
D:新作約540,000円、既存約315,000円
これらの金額は、制作期間や作品の規模に応じて変動し得るが、最低限の基準を示す点に意味がある。
SAUのガイドラインは、展示だけではなく、ワークショップ、プロジェクト開発、講演、レジデンスなど、広くアーティストの労働に関わる業務を対象としている。時給は4,700円から7,500円程度、日給は3万7千円から6万円超と段階的に設定されている。
さらに、レジデンスについては年俸換算の推奨額が示されており、新卒アーティストで約500万円、経験5年以上で約750万円が推奨額の基準となる。これらは、アーティストを他の専門職と同じ水準の労働者として扱うための計算式を用いて算出されている。具体的には、研究・管理・開発に35パーセントの時間を割く点を考慮し、フルタイム労働の65パーセントを実働時間とする方式を採用している。
AUEは、SAUの方式を土台としながら、独自の料率体系を持つ。時給は約3,000円から4,500円、日給は18,000円から30,000円台で、レジデンスについても250万円台から360万円台の推奨額がある。
AUEは経済指標、特に小売物価指数を参考にして料率を更新しており、生活費の高騰がアーティストに直接影響する現実を反映しやすい仕組みになっている。
しかし、こうした制度的整備にもかかわらず、実態はガイドラインが十分に機能しているとは言いがたい。a-nの報告書「Structurally F-cked」では、アーティストの多くが最低賃金以下で働き、無償労働による展覧会運営が広く存在する状況が報告されている。これは、制度の整備と現場の実態の間に大きな乖離があることを示している。
英国におけるアーティストの支払いを巡る議論は、これまでに一定の成果を上げてきたものの、課題が解消されたわけではない。特に、既存のガイドラインが現場で広く採用され、生活費の上昇に対応できる水準を安定的に確保するという点では、なお改善が求められている。
イギリスの美術分野における支払い制度は、長く非公式な取り決めが中心だったが、公正な賃金を求める組織的な働きかけが進む中で、徐々に制度として整えられてきた。スコットランドを含む英国各地で、団体や労働組合がガイドラインを策定し、アーティストの権利保護に向けた基盤を形づくったことは大きな前進といえる。ただし、制度的な問題は依然として残存し、視覚芸術分野のアーティストが文化的貢献と職業的立場に見合う報酬を受け取れる環境づくりには、継続的な取り組みが必要だ。
一方で、こうした現状を踏まえるほどに、イギリスという国の在り方が改めて浮かび上がる。植民地主義の歴史を抱えつつ、ポストコロニアリズムを掲げ、さまざまな分野で早期に制度や慣行の先例を築いてきたイギリスは、2020年の欧州連合離脱やコロナ禍の影響を受けながらも、美術の領域で国際的な影響力を保っている。自国通貨ポンドは依然として強く、英語は世界の共通語として機能している。
そう考えると、正式な規範が生まれる前に土壌を整え、方向性を先に提示してしまう言説の巧みさ、さらにそれを当然の権利であるかのように主張し続ける強さが、同国の文化的特徴として見えてくる。それは時に強引さとも映るが、学ぶべき点を含んでいるのかもしれない。
なお、イギリスの国章に記された国王のモットーは「Dieu et mon droit」(皮肉にもフランス語)で、日本語では「神と我が権利」と訳される。そこには、自己の正当性を強く主張し、巧みに立ち回る国民性の一端が垣間見える。
イギリスの国章。国章の下方にある文字がイギリス王家の紋章「神と我が権利」とある。
川久保ジョイ
1979年生まれ。アーティスト・美術作家。筑波大学人間総合科学研究科博士課程中退。専業主夫と金融トレーダーを経て作品制作を開始。経済、歴史、認知論やエネルギー問題を主題とした写真、映像作品、サウンド作品、建築介入・空間インスタレーションを制作する。近年の主なグループ展に「コレクション 2024-III」(広島市現代美術館、広島、2024)、「Picturing the Invisible」(王立地理院、ロンドン、2022)、「ヨコハマ・トリエンナーレ2020」(横浜、2020)、「六本木クロッシング2019」(森美術館、東京、2019)、主な個展に「Fall」(資生堂ギャラリー、東京、2016)などがある。https://www.yoikawakubo.com/