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SERIES|世界のアーティストフィーから学ぶ|②ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI) ビジュアルアーティスト(視覚芸術家)のための報酬ガイドライン

Text by 増山士郎

調査・資料作成

2023.12.21

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 

美術分野の活動発表における報酬のあり方についてより適正な形を実現していくため、art for allではアーティストの報酬ガイドラインの策定を目指しています。そのため、報酬および経費の支払われ方について実態の把握を目的に「アーティストの報酬に関するアンケート」を実施するとともに、海外事例の調査と既存のガイドラインの翻訳も進めています。世界においてアーティストの報酬はどのような実態にあるのか? 今回は増山士郎さんによるアイルランドの調査結果を報告します。(art for all)

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◉まえがき
アイルランドと北アイルランドについて

アイルランドは欧州大陸の北西沖に、イギリスと並んで、独立して浮かぶ島国。ケルト民族、カトリックの国。ハロウィンの発祥地。アイルランドの首都のダブリンで発祥のギネスビールが、日本でも有名なギネスブックを出版している。長い英国による植民地の歴史を経て、今から101年前の1922年に、英国からの独立国家となった国である。自分の住む北アイルランドは、アイルランドの英国からの独立以降も、英国領土のままとなった場所だ。そんな歴史的背景から、北アイルランドでは、住民の半分がアイルランド系カトリック、半分が英国系プロテスタントで、それぞれ住むエリアが違い、コミュニティの境界が高い政治的境界線の壁で分断されている。世界の他の紛争地帯と同様に、その分断されたコミュニティの間で人々が殺し合って来た歴史がある。日本では考えられないようなIRAによる爆弾テロ※1や暴動を、ベルファストに引っ越して以降、自分の住む家の近所でも日常的に目撃して来た。英国がブレグジットでEU離脱した後に、英国とアイルランドをはじめとするEU諸国の境界に位置しているのが、まさに自分の住む北アイルランドである。ブレグジット以降、北アイルランドの首都ベルファストの港は、英国とアイルランドEU間の物量のチェックポイントとなっているので、北アイルランドには、いくつかの英国からの物流が入ってこなくなり、いくつかの品物が購入できなくなった。北アイルランドはブレグジット以降の弊害を、ダイレクトに感じる地である。アイルランド人の大半は今でも、もとはアイルランド人の地であった、英国の一部になっている北アイルランドを、アイルランドのものだと思っている。ビジュアル・アーティストのための報酬ガイドラインを作成した、ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)が、活動の対象地域に、アイルランドだけでなく、英国の一部である北アイルランドも入れているのはそんな複雑な背景からで、北アイルランドのベルファストには 、VAIの北アイルランド支部のオフィスがある。

※1一般市民がターゲットではなく、政府や体制に対する挑戦とメッセージが目的のもので、IRAは爆弾を仕掛けると、警察に事前に情報を入れる。爆弾処理班が出動して爆弾テロはほとんどのケースが未遂に終わる

◉第一章
VAIとビジュアル・アーティストのための報酬ガイドライン

ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)は、アイルランド(英国の一部である、北アイルランドも含む、南北アイルランド)※2 におけるアーティストの報酬の実態調査※3を行った。その結果を受けとめ、アーティスト、芸術団体、助成団体、そして国際的な主要専門組織との協議により、会場とアーティストが公平な報酬レベルを計算し、プログラムの予算を適切に組み、プロのアーティストが非営利スペースで行うさまざまな作品に対応できるよう、ビジュアル・アーティストのための報酬ガイドラインが、ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)により作成された。

※2 VAIの文章の翻訳文の大部分で「アイルランド」は、アイルランド人目線での、アイルランドと英国の一部である北アイルランドを含む、南北アイルランドを指す。自身の書いた文章で、日本の読者のために、そこを明確にしたい時には、現地のアイルランド人が、南「South」と北「North」でアイルランドを区別するように、南北アイルランドと表記する。南北アイルランドに住む、アイルランド人は、北アイルランド(Northern Ireland)を省いた、南のアイルランドのことをいいたいときは、英語で特に、アイルランド共和国(Republic of Ireland)と表記し、そうでなければ、アイルランドとは、多くの文脈で、南北アイルランドをさすということが暗黙の了解であるが、アイルランドに住まない人にはわからない事実であろう。
※3 第1章後半の背景参照

ビジュアル・アーティスト報酬計算機

Visual Artists Payment Calculator – Euro [ROI] & Sterling [NI]

ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)はアイルランド彫刻家協会(Sculptors’ Society of Ireland)の現在の称号である。アイルランド彫刻家協会は1980年に設立された。当初は、アイルランドにおける彫刻家の職業的地位を向上させ、彫刻の知名度を上げ、委託制作の手順や機会の質と範囲を発展させることを目的に設立された。設立メンバーの一人が簡潔に表現したように、「彫刻を日常生活の一部と見なせる国にすること」が組織設立の目的であった。

新しい素材、新しい文脈、そして基本的には同業者との対話に取り組む機会を提供した。展覧会や会議も同様に、アイルランド現代彫刻のために必要なプラットフォームを提供し、アイルランドにおける彫刻芸術の様々な活動を批評的に評価し、発展を奨励した。アイルランド彫刻家協会(SSI)の「ニュースレター」は、アーティストに情報へのアクセスを提供し、彼らの活動に関する議論の場を提供した。

同協会はまた、1988年にアイルランドで施行された巨大プロジェクトの予算の一部をアートに還元することが義務のパーセント・フォー・アート法(Percent for Art legislation)の推進に尽力した。また、パブリック・アートのマネージメントを実践し、例として示すことにより、パブリック・アートのコミッションのための実践規範を展開した。

彫刻家協会は設立当初から、オブジェ制作、映像や写真、デジタルアート、インスタレーション、パフォーマンスなど、可能な限り広範囲な彫刻の実践を奨励してきた。このオープンで包括的な方針と、サービスやリソースの充実したプログラムにより、2002年のアイルランド芸術家協会(Artists Association of Ireland)消滅とともに、メンバーの会員数が大幅に増加した。

2005年、彫刻家協会は組織のリブランディングを決定し、ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)という名称を採用した。現在、VAIはすべてのビジュアル・アーティスト(視覚芸術家)を対象とし、プロのビジュアルアーティストのためのアイルランド唯一の代表組織となっている。

2011年、VAIはアイルランドにおけるビジュアル・アーティストの社会的、経済的、財政的地位に関する初の詳細調査を実施した。この調査の結果、VAIは「アーティストに報酬は支払われているのか? Has the Artist Been Paid?」キャンペーンを開始し、資金提供条件の一部としてアーティストの支払い権利を導入するに至った。2018年には、VAIのアドボカシーがアーティストのための求職者手当の導入に貢献し、COVID-19のパンデミックの最中には、文化庁から特別協力要請を受け、文化庁と直接連絡を取り合い、パンデミック時、および、それ以降の支援の枠組みの作成と提供に協力した。

現在のVAIのチームは、VAIメンバー会員費、アーツ・カウンシル・オブ・アイルランド、アーカウンシル・オブ・ノーザンアイルランド(北アイルランド)、ダブリン市からの財政支援、VAIの活動による自己収入、寄付を活用して活動を行なっている。

背景

2012年の10月から12月にかけて、ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)は、アーティストが作品や展覧会に対して支払う報酬の実態を調査した。積極的に展覧会を開催しているアーティスト147名がアンケートに回答した。この調査では、商業部門だけでなく、公的資金で運営される非営利スペースでの展示やアイルランドでの作品を考慮した。

アンケート集計の結果、非営利スペースでは、781の展覧会が実現していた。この数字の中で、異なるアーティストが同じ展覧会に出展していた可能性もある。調査では、アーティストに、その年の上位5つの展覧会から得た出展料の詳細を尋ねた。

最初の調査の結果、調査対象となった580の展覧会のうち、79.66%がアーティストに参加料を支払っていないことが明らかになった。さらに、多くの場合、制作費は支払われておらず、43.3%という高い割合で、アーティストが展覧会の運営費を支払うか、寄付するよう求められていることが示された。 77.8%のアーティストが、教育やアウトリーチ・プログラムに対する費用を受け取っていない。このうち31.9%は、これらのイベントのための旅費の寄付を受けている。

アーティストが無料で展覧会を開催し、教育やその他の支援サービスを提供することを期待されている状況は、今に始まったことではない。しかし、これまでは逸話的なものだった。今回の調査で、風土病のような現実が明らかになった。

現在、すべてのアーツ・カウンシル・オブ・アイルランド、アーツ・カウンシル・オブ・ノーザンアイルランド(北アイルランド)、クリエイティブ・アイルランド、省庁、そしてほとんどの地方自治体が資金を提供するプロジェクトは、アーティストに報酬を支払うことが義務付けられている。

以上が、ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)のウェブサイトに公開で掲載されている、視覚芸術家(ビジュアル・アーティスト)のための報酬ガイドラインが作成された経緯や、それを作ったVAIが設立された経緯を簡単に日本語でまとめたものである。

◉第二章
著者のこれまでの実体験に基づく、南北アイルランドでの報酬の実態

VAIによる南北アイルランドにおける、報酬ガイドラインに関して、自分のアーティスト目線での視点を盛り込むのに、これまでの南北アイルランドでの、自分の活動の実体験について話すことは避けては通れないと思う。
私は(公式には)2010年より、英国の紛争地帯として知られる北アイルランドのベルファストで、唯一の在住日本人のビジュアル・アーティストとして活動している。

自分が北アイルランドに住むようになったのは、2006年にアイルランド、ダブリンにあるアイルランド近代美術館(IMMA)でのレジデンス滞在中に、一人のアイルランド人の女性アーティストに偶然出会ったことがきっかけである。彼女は自分が滞在制作していた美術館のスタジオをたまたま訪問してきた。その3年後の2009年に北アイルランドのベルファストのFlax Art Studiosに、海外招待アーティストとしてレジデンス滞在することになった際、ベルファストに住んでいた彼女と、運命的な再会を果たしたのである。

その女性が現在の妻である。彼女と交際を始めた翌年の2010年に、それまで拠点としていた、ドイツのベルリンのアパートを引き払い、彼女が住んでいた北アイルランドのベルファストに彼女と一緒に住むようになった。

VAIのことはアイルランドで初めて活動をした2006年のアイルランド近代美術館(IMMA)でのレジデンス滞在の時から、よく覚えている。IMMAのレジデンス・コーディネーターは当時レジデンス・アーティスト全員に、VAIがニュースレターとしてEメールで頻繁に送ってくる、ダブリンでの展覧会のオープニングやその他のアイルランドのアーティスト向けの公募の情報を、転送してくれていた。

その当時、私は世界中のアーティスト・イン・レジデンスや助成金の公募情報などを収集しては常に応募を繰り返し、世界中を放浪しながら活動を続けていた。インターネット上での、アーティスト向け公募情報ソースも今ほど多くはなかった状況で、特にVAIによるアイルランドのアーティスト向けの公募情報は、その当時はまだ、アイルランドに住んでいなかった、外国人アーティストの自分にとっても、有益な情報であった。IMMA滞在中に、VAIのメーリングリストに登録した。

IMMAに自分が滞在した2006年は、VAIが設立された2005年の翌年で、アイルランドにはビジュアル・アーティストのための報酬ガイドラインなどはまだ存在していなかった。IMMAのレジデンスは、アイルランド近代美術館が運営するアイルランド国内では最も有名なアーティスト・イン・レジデンスではあったものの、選ばれたレジデンス滞在アーティストは、何ヶ月滞在しても(最大で半年まで滞在できたと記憶している)、期間の長短に関わらずもらえる給付金は一律で、1,200Euro(当時のレートで18万円)と薄給であったことを覚えている。

アイルランド国内のアーティストたちにとってはもちろんのこと、海外のアーティストにとっても、IMMAのレジデンスに選ばれることはある意味、アーティストとしてのキャリアに箔がつく名誉なことである。また、過去にベニスビエンナーレのアイルランド代表になったアーティストとも滞在時期がかぶっていた。美術館のコレクションや企画展を毎日ただで見放題、宮殿のような広大な美術館の敷地にある、住居やスタジオを自由に使い制作後、美術館本館にある、レジデンスアーティスト用の展示スペースで個展も開催される。その当時欧州に拠点を移して2年目で、経験も決して多くはなかった若手アーティストだった自分は、そんな夢のような体験をできる立場のアーティストとして選ばれたことを誇りに思い、義理の姉にその体験を伝えたところ、もらった給付金の額を聞かれた後に、鼻で笑われて相当に傷ついたのを覚えている。

客観的に当時の報酬について考えれば、現実1,200Euroの給与から、当時拠点としていたベルリンからの往復の旅費も支払わなければならず、1ヶ月あたり350Euro(当時のレートで5万2千円)程度で生活をやりくりしなければならない状況は当時の物価を考えても、まさに超低所得者層以外のなにものでもない給与であった。義理の姉に冷笑されるのも無理もなかった。同時期にIMMAに滞在していたフランス人の女性アーティストは、生まれたばかりの赤ん坊の世話を分担するため、赤ん坊の親である彼氏(二人は結婚していなかったと思う)を連れて来ていた。当然ながら、赤ん坊や彼氏を含めて全員を養える報酬ではないので、その彼は毎晩、美術館の裏にあるアイリッシュパブでバイトをしていた。アイルランドを代表する美術館に滞在制作に招待されたアーティストの彼女に一緒についてきて、パプで働いている彼氏を見て、なんだか惨めで、いたたまれない気持ちになったのを覚えている。

IMMAのレジデンスアーティストが滞在中に個展開催をする、美術館本館の中のスペースを「プロセスルーム」と美術館は呼んでいた。つまり、レジデンス・アーティストは滞在制作の最終的な成果物を見せるというよりは、レジデンス滞在中のドローイング等、制作途中経過を見せればいいというものだと思う。もし最終的な作品を見せる展示スペースであれば、美術館はアーティストに当然ながら、もっと報酬を払わなければならないだろう。

しかし、そんな裏の事情は、美術館にやって来るお客にはどうでもいい話で、自分は毎日大勢の人たちが見に来る、美術館の中で個展をできるということで、持ち出しによる自腹による赤字になっても、せっかくのいいチャンスなので、ちゃんとした作品を作り、その成果を見せようと思った。自身の性的なアイデンティを公言することに関して、その当時はまだ、保守的だった日本に比較して、オープンな欧州に感銘を受け、ヘテロセクシャル、ゲイ、レズビアンとそれぞれのカップルに合わせた、3種類の異なるデザインのベンチの作品を制作した。


Love Bench Project
アイルランド近代美術館、ダブリン、2006年11月

美術館のきれいな中庭に、3つのベンチを設置する許可を美術館からもらい、作品として展示した。美術館にやって来るお客さんたちがベンチを利用している様子を写真で撮影し、その制作過程の記録とともに、スライドショーとして、プロセスルームで見せた。美術館と交渉し、中庭に自分の作品を設置するようなことをしたレジデンスアーティストは自分より以前にはいなかったようだ。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

Love Bench Project
アイルランド近代美術館、ダブリン、2006年11月

プロジェクトは美術館にも好評だった証拠に、当時ベンチの前に設置されていた、ミロの屋外彫刻のコレクション作品、美術館で大規模個展をやっていた、ガゴシアンギャラリー所属のアイリッシュ・アーティスト、マイケル・クレイグ・マーティンの美術館壁面の壁紙とともに、自分の作品の写真が、その年の年末に作られた美術館のクリスマスカードとして印刷されることとなった。

自分のレジデンス滞在後にアイルランド近代美術館が自分の作品の写真を入れて印刷したクリスマスカード。巨匠の2人の名前とともに、自分の名前もクレジットされている

そのクリスマスカードはその後も何年かにわたり、美術館のギフトショップで売られていたのを覚えている。だからといって追加で自分の報酬が増えることはなかった。

美術館のコレクション部門がその後自分のベンチの作品に興味を持っているということで、コレクション用に耐久性を上げたものを作る話で、美術館と交渉も試みたが、作品が収蔵されることも結局はなかった。天下のアイルランド近代美術館のレジデンスという華々しいイメージの裏で、当時のレジデンスアーティストに対する低報酬の現実はあった。VAIによるビジュアル・アーティストのための報酬ガイドラインができて、何年もたった今現在、パンデミックの影響でしばらく公募を行なっておらず、最近のIMMAのレジデンスで滞在アーティストがいくらの報酬をもらえるのかは、私は知らない。

2010年からベルファストに拠点を移して、すぐに始めたのは、VAIのニュースレターで掲載される公募のレジデンスに片っ端から応募を始めたことだ。ベルファストを拠点にする女性と付き合い始めた自分は、これまでのようなノマディックに世界中を飛びまわり続ける生活を減らし、彼女と一緒にベルファストに腰を落ち着けようと思っていた。ベルファストから距離的に遠くない、南北アイルランド各地のレジデンスで滞在制作をすれば、恋愛を続ける上でも都合がよいうえに、活動でいい成果を残せれば、自然に南北アイルランドの、地元での展覧会等の機会も増えていくと思ったからだ。

北アイルランドに移り住むきっかけとなったアイルランド近代美術館(IMMA)、ダブリン(2006)とFlax Art Studios、ベルファスト(2009)の滞在後は、Cow House Studios、ウェックスフォード(2011);Fred Conlon Residential Studio、スライゴー(2012);Leitrim Sculpture Centre、マナハミルトン(2012);The Guesthouse、コーク(2013);The Model、Studio+、スライゴー(2014);Millennium Court Arts Centre、ポータダウン(2014-2015);West Cork Arts Centre、スキバリン(2016) と来年2024年に滞在予定の、Art Arcadia、デリー〜ロンドンデリー※4も含めると、合計10個の南北アイルランドのレジデンスプログラムに滞在することとなった。

※4 デリー〜ロンドンデリーは、アイリッシュ・ロックバンド、U2の曲ブラッディ・サンデーにもなった血塗られた歴史のある、北アイルランドでベルファストに次いで大きい第2の都市。英国系プロテスタントの人たちはロンドンデリーと呼ぶが、アイルランド系カトリックの人たちは「ロンドン」を省いてデリーと呼ぶ。自身の政治においての中立的な立場を示したい時は、デリー〜ロンドンデリーと併記するが、どちらも同じ都市の名前である。

それらのレジデンスに際して、無料で滞在できても(孤立した田舎に存在するCow House Studiosは3食支給されるので食費を支払う必要があった)、滞在のために報酬が出たものはIMMA、ダブリン(2006)、Flax Art Studios、ベルファスト(2009) (報酬とは別に、大和日英基金からの、助成も追加取得)、The Model、スライゴー(2014)だけであった。

今は無くなってしまった、北アイルランドの数少ない現代美術専門のアートセンター、Millennium Court Arts Centre、ポータダウン(2014-2015)に関しては、アートセンターに一つだけあるスタジオに、一年間スタジオアーティストとして滞在した。レジデンスという名目でなくて、北アイルランドにおける、私にとって最大規模の個展開催に対して大きな報酬をもらい(南北アイルランドでもらった展覧会の報酬としては過去最高額、グレイトブリテン笹川財団や国際交流基金ロンドンも協賛)、レジデンス滞在中には、アートセンターで、日本のグループ展を企画キュレーションもしたので、それらの報酬の一部を年間レジデンスの滞在費用に使っていた。

2012年にはFred Conlon Sculpture Awardを受賞し、Fred Conlon Residential Studio、スライゴー(2012)での2ヶ月間の滞在制作とLeitrim Sculpture Centre、マナハミルトン(2012)での1ヶ月間の滞在制作と個展開催の機会がスライゴー・アーツ・サービスより与えられたが、無報酬であった。その2つのレジデンス滞在制作と展覧会のために、自らの応募により、アーツ・カウンシル・オブ・ノーザン・アイルランドと吉野石膏美術振興財団の二つの財団から助成金を取得した。来年2024年滞在予定のArt Arcadia、デリー〜ロンドンデリーに関しては、報酬の有無は現時点では不明である。

南北アイルランドでは、これまで無数の展覧会に参加してきた。報酬ガイドラインに即したような、アーティストフィーとは別に、旅費、宿泊費、作品の運搬費、新作の制作費まで出る好条件のものもあれば、全く予算がなく、持ち出しで参加したようなものまで多種多様である。展覧会以外で、とりわけ報酬が多かったものとしては、北アイルランドで2013年の文化都市デリー〜ロンドンデリーのためにキャンピングカーの内装半分をアイリッシュスタイル、半分を英国スタイルで改造した、コミッションワークのBorderline Projectと、2015年に北アイルランドのバレミーナに恒久設置された5個の林檎の公共彫刻(自身のキャリア最大の報酬)の仕事である。


Borderline Project
2013年よりワークインプログレス


5個の林檎
人々の公園、バレミーナ、北アイルランド、2015年6月竣工

VAIによる報酬ガイドラインが作成されて以来、南北アイルランドの美術館、アートセンター、ギャラリー、レジデンス組織、公共彫刻のコミッショナー、アートフェスティバルの運営組織などによる、アーティストの報酬に良い影響を与えているとは思う。とは言え、予算のない無報酬の案件がなくなることはないし、そういうものに参加するようなことも、最近でもしばしば経験している。

アートの仕事がただでさえ少なく限られた、小さな北アイルランドを拠点に活動する自分のようなアーティストにとって、現在の一番の問題は、ブレグジットによる英国のEU離脱が実現して以降、目に見えて応募できる公募案件が激減したことである。今でもVAIのニュースレターの公募情報は毎回目を通してはいるが、ブレグジットを境に、北アイルランド在住のアーティストが、南のアイルランドでの大半の公募案件への応募資格を失った。

ベルファストに拠点を移して以降、英国の北アイルランド在住のアーティストとして、英国在住アーティスト向けの情報サービス「a-n」にも会員登録している。a-nは何より会員登録することで、北アイルランドも含む、英国全土での活動に対するアーティスト保険が付随してくることが、大きな会員登録のメリットである。VAIとa-nの両方の恩恵を受けることができる立場として、その二つを比較すると、VAIは月に何度も送られてくるニュースレターで更新され続ける公募情報が大変わかりやすく利用しやすいが、a-nの公募情報は個人的には見づらいので、これまでほとんど利用してこなかった。VAIの公募情報の大半に応募の資格を失ったブレグジットを境として、これまでは自家用車を使って陸路で移動し、手軽に行なっていた南のアイルランド内での活動よりも、飛行機での移動が伴う英国本土での活動を視野に入れ、a-nの公募情報も常にチェックしなければならなくなった。そういう状況に迅速に対応した結果として、ブレグジット後の昨年2022年には、英国本土で2つの仕事が入り、ひさしぶりにロンドンを訪れ仕事を行なった。また、ブレグジット以降、アイルランドでの仕事が激減したのでアイルランド国外の仕事を求めて、パンデミックの収束とともに、また以前のように世界中のレジデンスをノマディックでまわる活動を再開している。ここ最近滞在したレジデンスは、Urban Gorillas、ニコシア、キプロス(2022);Khoj Studios, ニューデリー、インド(2023);Arctic Culture Lab、イルリサット、グリーンランド(2023);Stiftung Künstlerdorf Schöppingen、ショッピンゲン、ドイツ(2023)である。

◉第三章
報酬ガイドラインに関してのVAIのスタッフへのインタビュー

このレポートを書くにあたって、どのようにしてVAIが、ビジュアル・アーティストのための報酬ガイドラインをアイルランドのアート業界に普及させてきたかを具体的に記載した記事が、VAIのウェブサイトには、ほとんど見当たらなかったので、VAIのスタッフとアポイントメントを取り、Zoomを通してインタビューを行った。

VAIのスタッフが語った内容は以下の通りである。
まず、ビジュアル・アーティストの報酬ガイドラインは、アーティストと仕事をするアートの組織にとって、報酬を考える上での、あくまでも目安になるものである。そして、アーティストは、報酬ガイドラインを見ることによって、機会に合わせた妥当な報酬の相場を知ることができる。公的資金を受けて運営している組織にとっては、それを考慮することが義務になってはいるものの、守らなかった場合に法的な罰則を課せられるものではない。最低賃金を考慮して、ビジュアル・アーティストの報酬ガイドライン作成後、VAIは自身の媒体でのキャンペーンを行った。

また、VAIはアーツカウンシルと共同で、様々なアートの組織に対して、アーティストの報酬を考える際に、ガイドラインを参照するように促し続けてきた。それらは現在でもVAIが絶えず続けていることである。アーティストがアートの組織と契約書を結ぶ際に、アーティストが妥当な報酬を受けているのか、VAIの専属の弁護士をアーティストに紹介し、契約書をチェックすることもしばしばである。ガイドラインはアーティストのためだけではなく、いくら報酬を支払ったらいいかわからないアート組織にも、有効なソースとして役立ってきたのである。

ガイドラインは展覧会に限らず、ワークショップ、コミュニティワーク、アートフェスティバル他、様々なアーティストの機会での、報酬を検討する上で有効なものであり続けてきた。VAIがアイルランドで、これまで行なってきた長年の活動で築き上げた信用と知名度が、報酬ガイドラインのアイルランドのアート業界での普及に、大いに役立ったのは間違いないだろう。
また、アーツ・カウンシル等の政府機関と、共同でアートの組織に働きかけることによって普及活動をすすめてきた。アイルランドの政府機関は、我々の意見を聞くことに対して開かれているので、頻繁な情報交換が積極的に行なわれ、政府機関が、我々の持っている情報を必要とすれば情報提供に協力する。政府機関とは敵対せずに、常に協力しあい、お互いに何を双方に対して提供できるかを自覚した上で、常にもちつもたれつの関係を構築してきたことが、彼らからの大きな協力提供につながった。結果としてそのことが、ビジュアル・アーティスト報酬ガイドラインの南北アイルランドでの普及に大いに影響したことは疑いのない事実である。

あとがき

私は、VAIがビジュアルアーティストの報酬ガイドラインを作成する以前から、そして作成後も、その影響が南北アイランドのアート業界に出て現在に至るまで、実際に南北アイルランド各地のアートの現場で、長年にわたって、活動をしてきたアーティストという立場で、本レポートを記した。日本にアーティストのための報酬ガイドラインのようなものがいまだ存在していない中、 「art for all 報酬ガイドラインを考えるワーキンググループ」の同志たちによって、ガイドラインが初めて作成されることは、アーティストが低収入や無報酬で利用されることが少なくない、日本のアート業界のあり方に一石を投じ、日本のアーティストたちの将来にとって、良い影響を与えるきっかけになっていくだろうと期待している。

 

増山士郎
Shiro MASUYAMA

1971年東京生まれ、神奈川県川崎市出身の現代美術家。明治大学で建築を専攻したバックグラウンドをもとに、社会や人々とかかわるソーシャリー・エンゲイジド・アートをキャリアの初期から実践している。主に世界中のアーティスト・イン・レジデンスに滞在しながら、様々なプロジェクトを展開してきた。2006年のダブリンのアイルランド近代美術館と、2009年のベルファストのフラックス・アート・スタジオにレジデンス滞在したことがきっかけで、英国の紛争地帯として知られる北アイルランドのベルファストに引っ越した。北アイルランドを拠点とする、唯一の在住日本人ビジュアル・アーティストとして、我々を取り巻く政治的な力が、我々のアイデンティにどう影響するかを示すユニークな役割を担っている。
https://www.shiromasuyama.net/