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活動報告:美術分野における報酬ガイドラインを考えるセミナー① – 韓国の文化政策から学ぶ –

Text by 酒井志紋

レクチャー イベント 活動報告

2023.11.9

日時:2023年3月31日(金) 日本時間20:00〜22:00
場所:オンライン

主に美術分野の関係者からなるプラットフォームである art for all では、「美術分野における報酬ガイドライン策定のためのアンケート」(実施時期:2022年2月2日〜2月13日)を行い、その結果についての報告書を2022年2月末に文化庁へ提出しました。2022年3月29日には、アンケート調査の結果を報告するとともに、各国で実際に策定されている美術分野の報酬ガイドライン等の施策を紹介し、セミナーの参加者とともに、日本版ガイドラインの策定を含む次のステップに向けた議論を行いました。その後この問題をより広く共有・啓発するため、Web版美術手帖の連載も昨秋からスタートしました。2023年2月にはワーキンググループのメンバーによる問題提起が日本経済新聞の特集記事にとりあげられるなど、世間の関心も増しています(リンク*1, 2参照)。

現在は、2024年3月を目標に報酬ガイドラインを策定するプロジェクトを進行中で、近く新たなアンケートの実施も計画しています。今後は、ガイドラインの内容をより具体的に検討するために、他国のアーティスト報酬や権利に関する制度に詳しいゲストを招き、学ぶ機会を設けます。

今回は第一弾として、近年韓国で立法された芸術家の福祉と権利に関する2つの法律「芸術家福祉法」(2011年)と「芸術家権利保障法」(2021年/参考リンク*3)の背景と内容について、韓国の文化政策に詳しい北海道教育大学の閔鎭京(ミン・ジンキョン)准教授にご紹介いただきました。

本セミナーの企画は、もともと一般社団法人日本芸能従事者協会主催の勉強会から派生しています。諸外国と、特に韓国の文化政策に着眼し、日本との比較検証をする中から、日本における文化芸術・芸能分野の環境改善や、その主軸となる立法を目指してきた継続的試みの経緯から、本セミナーにつながる発想を紹介されています。今回の開催に向けても、資料提供などで、日本芸能従事者協会のご協力を頂いています。

<参考リンク>
*1:Web版美術手帖 SERIES / 美術分野における報酬ガイドラインを考える
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s64
*2:展覧会、アーティストの実質報酬ゼロ? 最低基準策定も – 日本経済新聞 (nikkei.com)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD061PJ0W3A200C2000000/
*3:韓国芸術人権利保障法(和訳:呉学殊、提供:日本芸能従事者協会)
https://artsworkers.jp/wp-content/uploads/2023/03/a587d7b8984c908e18c2335d8b03b960.pdf
協力:一般社団法人日本芸能従事者協会

* * *

20時よりオンライン上で始まったセミナーでは、まず芸術文化のプロデュースを専門とする木原進による進行のもと、アーティストの村上華子より、今回のイベントの趣旨説明と報酬ガイドラインのワーキンググループによる活動紹介が行われました。このグループの活動の目的は、美術分野における報酬ガイドラインの策定を目指すことにあり、現在それに向け3つの活動を行っています。

  • アンケートによる現状調査
  • 海外事例の調査
  • 海外における報酬ガイドラインの翻訳紹介

アンケートによる現状調査は2022年に第一弾が完了しており、その結果を公表しております。本年は更に規模を拡大していく予定です。

また海外事例の調査については、カナダやアイルランド、北欧諸国といった既に報酬ガイドラインを持っている諸外国の事例を詳細に調査し、日本に適した形を探っていきます。またそうした諸外国のガイドラインを翻訳し、どなたでも読めるように紹介していきたいと考えています。

それに向けたスケジュールとして、2023年8月までを目途に、国内アーティストの現状調査および海外事例調査を行います。そして2023年9月から2024年初頭にかけて、アーティストへ報酬を支払う使用者側へのヒアリング調査を行う予定です。最終的には、2024年3月までのガイドライン策定を目指します。

また策定後は、使用者にガイドラインの遵守を求めるキャンペーンを行うこと、そして美術業界内における、アーティストの権利の啓発運動を計画する予定です。

* * *

その後、今回のセミナーを提案したアーティストの藤井光が、まず今回のセミナー参加者の多様性について述べました。

本日は非常に多くの方々のお申し込みがありまして、まずその地域性について、オンラインイベントでこんなこと言うのも今時ではないかもしれませんが、北海道から沖縄まで、また国境を越えてソウル、香港、シンガポール、パリ、ブリュッセル、ベルリン、フランクフルト、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、シカゴなどから本日ご参加いただいております。さらには地理的な多様性だけではなく、お集まりいただいた方々の職業や所属も多様で、アーティストやキュレーター、コーディネーター、アートコミュニケーター、設営照明といった現場制作の方もいれば、美術館職員、批評家、ギャラリスト、コレクター、研究者、財団、アーツカウンシル、アート NPO、アートインレジデンス、アーティストユニオン、アート系民間会社の関係者から教育者、学生だけでなく翻訳家、編集者、メディア関係者の方々まで、本日はご参加頂いております。このような多層的な厚みのあるネットワークによって芸術が支えられているという認識と共に、本日お集まり頂いたことに非常に心強く思っている次第です。主催者の一人として感謝申し上げます。

そして閔氏のプロフィール紹介とともに、今回のセミナー開催に至った問題意識のの共有とその背景説明が行われました。

韓国の文化政策と日本の現状を比較して、ひとりのアーティストとして思うところを少し述べたいと思います。韓国の文化政策をあえて一言で言い表すならば、『人のいる文化』を目指すものだと私は思っています。文化は人が作り、人とともにあります。無意味なトートロジーに聞こえるかもしれませんが、 反対概念である「人のいない文化」について考えてみてください。『人のいない文化』というのは原理的に不可能ですが、何かそれが実現可能になってしまっているかのように思えるのが、今の日本の現状のように思います。

どういうことかというと、芸術作品やアートプロジェクト、展覧会やイベントといったものを目的化するあまり、それを作り出す我々カルチャーワーカーたちのことが顧みられない、ある意味で人権がない、まさに『人がいない文化』を私たち自身で作り続けているのではないかというのが私の問題意識です。

それは報酬という問題であったり、契約や働き方の些細なディテールの中に、日本が抱える歴史的、文化的、構造的な『人のいない文化』を作り出す兆候が表れているのではないかと思います。
本日のイベントを企画したメンバーの多くが、様々な国、特に人権問題に積極的に取り組むヨーロッパに在住しているということは偶然ではないと思います。

また想像力を飛躍させれば、『人のいる文化』を目指す韓国もまた、植民地時代と独裁政権によって蹂躙されてきた人権を取り戻そうとしてきた長い歴史があり、「人のいる文化」を目指す彼らの文化政策はそのことと無関係ではないのではないかと考えています。そのように考えると、人権という観点においてあまりにも多くの問題を抱える日本において、韓国の文化政策から学び、それを移植したり真似をするということはなかなかに難しく、ともすれば諦めも抱いてしまうほどですが、次世代のアーティストやカルチャーワーカーの未来は、『人のいる文化』という、より持続可能な環境を求める方向へ行くだろうという確信もあります。

* * *

そして、閔氏による基調講演が始まりました。

<講演者>
閔鎭京(ミン・ジンキョン)
北海道教育大学岩見沢校 芸術・スポーツビジネス専攻 芸術文化政策研究室 准教授。韓国ソウル市生まれ。韓国国立オペラ団で演出助手とオペラ制作に携わり、2000年に来日。2001年に文化庁海外招聘研修生として東京室内歌劇場でオペラ制作を担当。2006年度東京藝術大学大学院応用音楽学専攻修了(学術博士)。2006年から北海道教育大学岩見沢校に在職。専門は文化政策。

今回の公演では、韓国の文化政策の中でも特に芸術家に対する福祉政策を中心に紹介が行われました。

韓国では、2011年11月に芸術家福祉法が制定されました。その目的とは、「芸術家の職業的地位と権利を保護し、芸術家の福祉支援を通じて芸術家の創作活動を促進し、芸術発展に寄与する」ものでした。

また韓国では、1948年制定の憲法においても、芸術家の権利を法律で保護すると明記されています。

次に、芸術家福祉法の第3条には以下のように書かれています。

  1. 芸術家は、文化国家の実現および国民の生活の質の向上に重要な貢献を行う存在として正当に尊重されなければならない
  2. すべての芸術家は、自由に芸術活動に従事することができる権利を有し、芸術活動の成果を通じて正当な精神的および物質的恩恵を享受する権利を有する
  3. すべての芸術家は、有形無形の利益の提供または不利益「を与える旨」の強迫を通じて不公正な契約を強要されない権利を有する

このように、芸術家の地位と権利が明記されています。

また、この芸術家福祉政策を執行する機関として、文化体育観光部の傘下機関である韓国芸術家福祉財団が2012年に設立されました。この機関は芸術家の創造活動を促進し、芸術の発展に資することを目的とし、芸術家の福祉について体系的かつ総合的に支援が行われています。芸術家福祉法の第10条を法的根拠としており、多岐にわたった役割を担っています。

予算額を見ると、2013年から本格的な事業開始が行われ、この10年で約7倍の予算増加を確認することができます。特に2020年と2021年、2022年に増加していますが、これはコロナ関連の補正予算が含まれているためで、その中でも2022年には、創作準備金という事業に対し約100億円が補正予算として計上されています。2023年は約109億円で運営されています。

財団の事業領域においては、福祉支援、権利保障、社会保障、基盤作りの大きく四つの柱で構成されています。

今回は、各事業領域の中でも

  1. 芸術活動証明
  2. 芸術家パス
  3. 創作準備金
  4. 芸術家労災保険支援
  5. 芸術家雇用保険

以上の内容についてご紹介いただきました。

芸術活動証明とは、芸術家の職業的な地位と権利を法的に保護するため、芸術家福祉法に基づいて芸術を技芸「業」としているかどうかを確認する制度です。11の芸術分野において、創作や実演、技術支援および企画の形で活動する芸術家は、誰でも芸術家福祉財団にこの証明を申請することができます。11の芸術分野、その中でさらに15の小分野に分かれており、二つ以上の活動を同時に行う場合は、最大三つの分野まで複数申請することができます。

また従来は原則として大韓民国の国籍を保有している芸術家のみが申請可能なものでしたが近年改善され 、外国人登録証明書を所有している永住者や、あるいは韓国国籍を持つ人の配偶者、また難民認定証の保有者などもこの芸術活動証明を申請することができるようになりました。

芸術活動証明の種類としては三つあり、芸術活動証明(一般)、新人芸術家芸術活動証明、芸術活動証明(特例)となっています。

三つの種類から一つを選んだ上、自分の芸術活動が証明しやすい方法を三つの中から一つを選択できます。申請書類を揃えて福祉財団に提出したら、各分野の専門家で構成された審議委員会が芸術活動証明申請内容を検討し、結果(完了/未完了)を決定します。

詳細は芸術活動運営指針に明記されていますが、例として芸術活動証明(一般)の場合、直近3年または直近5年の間に公開発表された芸術活動あるいは直近1年または直近3年間での芸術活動によって得た収入のうち、自らが証明できるものを申請します。また長老芸術家(高齢の芸術家)や、キャリアが一度途切れてしまった芸術家などは、証明を行うことが難しい可能性があるため、基準外の活動として特例での申請を行うことが可能です。

芸術活動証明の手続きを完了すると、芸術家福祉財団のすべての事業への参加申請が可能になります。そして福祉財団の支援を受けるためには、この証明を受けることが前提条件となっています。

また芸術家活動証明は有効期間が2年となっており、有効期限の6ヶ月前から更新を行うことができます。

こうした芸術活動証明制度が活躍した例として、最も分かりやすいのがコロナ禍での支援でした。韓国国内における、17の一級行政区域に芸術分野の地域文化財団が置かれており、コロナ禍において最も大活躍したのが、地域、特に広域文化財団だと言えます。

各地域文化財団は、当該地域の補正予算や拠出金、事業予算の調整金などで、緊急対応資金を作りました。危機に対応するためのチームを構成し、緊急対応戦略を協議する地域文化財団もありました。

具体的な内容としては、公演や展示の会場に相談窓口を設け、随時被害状況を把握しました。またオンラインの実態調査を実施し、これは特に2020年3月から4月にかけて最も多く行われました。芸術家への財政支援としては、緊急財政支援の名目による直接支援が非常に多く行われました。この支援は定額やそうでない場合もあり、一つの団体で約10万円の場合や、1世帯あたり約3万円、芸術家一人あたり10万円など、様々な形で各地域に適した支援が送られました。

こうした柔軟な支援の形に加え、申請手続きもまた非常に簡便な方法が採用されました。ソウル文化財団を例に挙げると、清算無しの活動費緊急支援が行われました。これは活動したものを領収書で証明する必要がなく、簡単な報告書のみで申請を完了できるようにしたものでした。

また審査日程に関しても非常に短期間で行われ、場合によっては先払いで支援が行われたところもありました。済州文化財団の場合は、やむを得ず中止することになってしまったアートプロジェクトに対して、それまでに発生した準備費用について支援が行われました。これは柔軟な対応を行うことでアーティストの手助けをしていこうという財団の姿勢の現れと言えるでしょう。

なぜ地域文化財団はこのようなことが可能だったのか。それには二つの理由がありました。一つは、支援を受ける条件を、福祉財団が発行している芸術活動証明を完了した者に限定していたことです。これによって支援対象が明確になり、地域ごとに支援資格に対する審査を行う必要がありませんでした。

もう一つには、コロナ禍が起きる以前から地域ごとの芸術家実態調査を実施していたということが挙げられます。これによって財団や自治体は、芸術団体や芸術家の活動状況を常に把握することができており、いかに彼らが脆弱な財政基盤に基づいて活動しているのかを理解していました。

こうした芸術家の経済状況も含めた事前の課題認識が、コロナ禍での素早い支援に大きく貢献しました。緊急支援に対して自治体や組織内の理解が得られやすい地盤が既に作られていたため、地域文化財団がコロナ禍の中で様々な支援策を講じることができたのです。

これまでは芸術家からも、この証明がどこに使われるのかよくわからないという声もあったようですが、コロナ禍によって俄然その役割を増し、それが2020年以降急激に芸術活動証明を申請する人が増加した要因となりました。2022年現在は、約15万人が活動証明を完了しています。

その中で特に注目したいのが、二十代や三十代の若い世代です。2021年3月、新進芸術家が芸術界で根付くことを期待し、また若い層の福祉支援をするために「新進芸術家芸術活動証明特例制度」を新設しました。そのため、新人芸術家の枠で芸術活動証明を受けることが一般と比較してより簡単になっており、2年間に1回の頻度で展覧会や公演を行うことで、新人枠での芸術活動証明が受けられるようになっています。そのことも活動証明を行う若い世代が多くなった要因の一つとされており、2022年現在、若年層の割合は約半分を占めるまでになっています。

次に芸術家パスという制度を紹介します。

これは芸術家の文化芸術鑑賞機会を拡大し、自負心を高めるために作られたもので、これは芸術証明の発行を完了した芸術家の他に、学芸員や文化芸術教育士、あるいは美術館や博物館の館長などがこの制度を申請することができます。特典として、国公立文化施設の入場料あるいは展覧会や公演の鑑賞料金の割引などを受けることができます。

韓国語表示ですが、記載されたQRコードから芸術家パスの専用ホームページにアクセスすることができ、実際にどういった施設や展覧会の割引を受けられるのかを確認することができます。左側の地図を見ますと、国立現代美術館から南部にあるコンサートホールまで、各地にある様々な施設が芸術家パス参加機関として名を連ねているのが分かります。またパスの利用にあたっては、施設だけではなく、芸術団体あるいは演劇団体がパスの保有者に対して観劇料の割引をしているところも多く、この制度は芸術家に他のジャンルの芸術鑑賞の機会を与えることに対し経済的に寄与していると言えます。

次は創作準備金についてご紹介します。この制度は、芸術家が外的要因によって芸術活動を中断しないように、所得の低い芸術家が持続的に芸術活動を行えるよう支援するものです。これは2013年に始まり、当時は社会に貢献することを狙いとして、月々約6万円(60万ウォン)を5ヶ月の間支援するというものでした。2014年になると、貧困が原因で芸術家が亡くなってしまった事件があり、芸術家緊急福祉支援という名称に変更されました。2015年からは創作準備金という名前になり、現在でもこの制度が続いています。

2023年現在では、予算として前年比約6億円が増額され、合計68億円となっています。

また創作準備金には二つの種類があり、一つは創作活動するにあたって足がかりとなるような事業に対する支援であり、もう一つは新人芸術家に特化した創作準備金です。事業対象としては、芸術活動証明あるいは新人芸術家活動証明を完了し、かつ芸術創造活動を準備中の現役芸術家になります。この申請には過去所得の金額に応じた基準が設けられており、所得認定額が当該年度を基準にした中位所得の120%を超えた者や、一人世帯で月25万円の所得認定額を超える者は申請を行うことができません。これを見るとほとんどの芸術家が創作準備金を申請できるように見えるかもしれませんが、この所得認定額は所得評価額+財産の所得換算額となっており、固定資産をどれだけ持っているかという点も審査対象になってしまうため、例えば車を所有しているかどうかで創作準備金の取得可否が変わってしまうことになります。車が無いと創作活動が難しいという芸術家もいる中で、現在この点が一つの障害となっていると言えます。実際に、月々の所得は非常に低いにも関わらず、車を所有していることによってこの創作準備金が取得できないという弊害も生まれています。またこの制度は隔年での申請が可能です。人数としては、一般の創作準備金は毎年2万人の枠が設けられており、新人芸術家創作準備金は3000人となっています。支援金額としては一人あたり約30万円で、新人芸術家の場合は一人約20万円、新人芸術家は生涯で1度のみ申請可能となっています。そして非常に画期的だと言えるのが、成果にあたっての提出物です。創作準備金という名前の通り、ここでは必ず展覧会を開いた等の成果を出す必要はなく、さらに、経費支払い証明等も要らず、活動報告書のみで成果報告をします。採択が決まると即座に30万円を受け取ることができます。この制度の趣旨としては芸術活動を中断しないということが重要であり、活動報告書に記載する内容として、この30万円を使って何をしたのか、例えば創作活動に関連した書籍を購入したり、あるいはレッスンを受けたりしたという報告であっても特に問題はなく、様々な活動をしながら創作活動を中断しなかったことを報告することで、準備金を受け取ることが可能となります。

2017年から2023年までの創作準備金の予算の内、実際の支援人数と申請人数を見ると、一般区分での支援率はおおよそ5割から6割となっています。これは、書類不備や所得認定額の基準に該当しなかったことが主な理由として挙げられます。

この支援対象者の選定ですが、まず優先的に選定されるのが長老芸術家および障害芸術家となります。また、所得基準を満たす申請者が募集人員を超過した場合、点数制が適用されます。最大10点満点となっており、低所得者から高く配点される仕組みになっています。加えて申請が初めての人や、農村や漁村地域の居住者にもそれぞれ1点が加算されるようになっています。またコロナ禍によって所得が急激に下がってしまった人などにも加算点が付与されます。配点が同点になった場合、優先順位は所得認定額の低い者、初めての申請者、農村または漁村地域の居住者となっています。

このように創作準備金は経済的状況を基準に仕組み作りがなされています。例えばアーツカウンシルで行われている文学や視覚芸術、舞台芸術、創作育成などの芸術支援事業と比較すると、そもそもの狙いが異なっていることが分かります。創作準備金は芸術家の創作に対するセーフティネットを構築するために行っているものであり、アーツカウンシルの創作支援は芸術の質を高めるため、あるいは創作の実験性を図っていくためなど、主に作品に着目して審査を行い支援が行われています。創作準備金は、対象となる芸術家がどのような作品を制作しているのか、また活動の質はどうなのかよりも、あくまでも経済的にどれほど困窮しているのかというのが一つの評価軸になっています。

これは芸術家の権利保障事業についてです。芸術家のオンブズマン制度は、芸術家の表現の自由を保障して、芸術家の職業的権利を保護するために運営され、主に不正行為に対するワンストップ支援が行われています。その他にも法律相談やコンサルティング、そして芸術家の権益保護教育が行われています。また芸術家の心理相談窓口もあり、これは全国各地の専門のカウンセリング機関と連携をとり、相談が受けられるようになっています。

次は芸術家労災保険支援についての紹介になります。

2012年1月、芸術家福祉法施行規則および産業災害補償保険法の施行令が改正され、芸術家を中小企業事業主としてみなす特例が新設されました。それによって、芸術家も労災保険への加入が可能になりました。

施行令がどういった理由で改正されたのかについてですが、芸術家に対する労災災害補償保険の適用は以下が改正理由となっています。1つ目は、芸術家の相当数は勤労契約や雇用契約ではなく、請負契約などを締結して活動しており、このような芸術家は活動中に災害にあっても労災保証金の適用にならず、社会問題になっていたこと。2つ目は、芸術家に対して中小企業事業主特例方式(任意方式)によって労災補償保険を適用すること。3つ目として、労災保険に加入する芸術家が増えるにつれて業務上の災害危機に対するセーフティネットがより拡大し、芸術家に対する福祉が促進されるものと期待することが挙げられます。

施行例の条文として、第122条では中小企業事業主の範囲を「芸術家福祉法第2条によって芸術家による芸術活動の提供の対価として報酬を受ける目的でかわした契約に基づいて活動する者」としており、この労災保険を支援する目的としては、報酬を受けて行っている芸術活動を続けることが事故や災害によって困難になってしまった場合、芸術家を支援しなければならないという考え方に基づくものでした。ただし、これは芸術家本人が任意で加入する方式になっており、保険料は本人が100%負担しなければならない仕組みとなっています。

韓国における勤労者(被使用者)労災保険との違いですが、芸術家労災保険は運営主体が民間の保険に入らなくても良いという点にあります。ともに運営主体が国ではあるものの、勤労者労災保険の場合は全員加入が条件であったり、あるいは給料基準に対して一括徴収されるものですが、芸術家労災保険の場合は、本人の意思で加入するかどうかを選択します。また保険料は1級から12級まで細分化されており、それも本人が選択する仕組みになっています。

現状ではやはり保険料の全てを芸術家本人が払わないといけないという点が負担になっています。そこで福祉財団では、芸術家のために労災保険に関する事務作業を代行するとともに、毎月芸術家が納付した保険料の5割から9割を払い戻しするという形で支援を行っています。労災保険の加入率を見ると年々上がっていることが確認できますが、実際には芸術家労災保険に加入した人はほとんどいなかったことが分かっています。2021年度の28.5%という数字は、オーケストラなどの公立芸術団体に雇用されている芸術家が加入している労災が25%を占め、芸術家労災保険に加入している人は3.5%しかいませんでした。現在、芸術家が100%保険料を負担するという形から芸術家と雇用する側である使用者が折半しそれぞれ5割を負担する形への変更が方向性として検討されています。

次は芸術家雇用保険についてです。この制度は芸術家に失業給付や出産前後の手当金が支給されるもので、2020年12月10日に導入されました。

韓国内で議論が始まったのは2013年からで、朴槿恵(パク・クネ)政権は「芸術家創作セーフティネット構築と支援強化」を国政課題として掲げました。そこで雇用労働部と文化体育観光部の連携課題として、芸術家雇用保険導入についての検討が動き始めました。

翌年2014年からは芸術家雇用保険適用関連機関特別協議会というタスクフォースが作られ、芸術家雇用保険が適用できるよう議論が行われました。しかし残念ながら朴槿恵政権は任期を全うできなかったこともあり、芸術家雇用保険の政策課題もこの政権下では実現できず、課題は次の政権に引き継がれました。

そして2017年、文在寅(ムン・ジェイン)政権下において「創作環境の改善と福祉強化により芸術家の創作権を保障」することが国政課題として挙げられ、芸術家の地位と権利保障のための法律の制定や芸術家の雇用保険制度を導入するための制度的な基盤整備を行うということが課題として掲げられました。この課題が2018年に発表された「文化ビジョン2030-人のいる文化-」に繋がり、 芸術家の福祉を強化するための韓国型芸術家雇用保険の導入も盛り込まれました。

文在寅政権で発表した、文化ビジョン2030は、「人がいる文化」をテーマに、自律性や多様性、創造性を3つの価値とし、それらを軸に文化政策を推進していくものです。盛り込まれた内容の中でさらに3つの方向性が提示されました。一つが個人の自律性を保証するというもので、特にその中の「文化人や芸術家、文化芸術従事者の地位と権利の保障」が文化政策において非常に重要な課題として示されました。

そしてそれを受け2018年7月に雇用保険の改正案が発議され、実現に向けて徐々に進んでいくことになりました。さらに2年後、当時の文在寅大統領による就任3周年の特別演説において、韓国の全ての国民に雇用保険を適用する全国民雇用保険推進政策を表明し、その後の国会本会議において雇用保険の改正案が可決されました。そして2ヶ月後、韓国版ニューディール総合政策が発表されました。その中の一つの戦略に芸術家の雇用保険を支援していくという旨が含まれており、これによって芸術家の雇用保険制度というのが単なる文化政策にとどまらず国全体の公共政策としての位置付けが明確化されました。また12月には全国民雇用保険ロードマップが発表され、ここから芸術家や特殊形態労働従事者等に雇用保険の適用が具現化することになりました。そして長期間に渡って福祉財団と雇用労働部が協議を続けながら模索してきたこともあり、政策の中で最初に実現されたのが芸術家雇用保険でした。

芸術家雇用保険は労災保険とは異なり、当然加入制度になっています。文化芸術の役務契約を結ぶ際に、労務提供期間と報酬に基づいて加入するものになっており、2023年現在は17万人以上が雇用保険に加入しています。雇用保険加入の手続きは、雇用労働部傘下の勤労福祉公団が担当しており、福祉財団は雇用保険関連の教育や広報、相談業務を担っています。

雇用保険の加入対象は 文化芸術役務関連契約を締結した芸術家になります。所得基準を見ますと、月の平均所得が約5万円以上の場合は義務加入となっています。もう一つの特徴としては1回あたりのプロジェクトが5万円以下の場合、複数のプロジェクトを合算して申請することが可能となっています。その場合は使用者側の申請ではなく、芸術家が直接「勤労福祉公団」に申請します。

保険料としてはそれぞれ報酬の0.8%を負担する必要があります。これに関して、今まで負担することのなかったものを負担しなければならないということで現場からは不満の声も上がっています。ですが、10人未満の事業体と役務契約を締結し、かつ平均報酬が260万ウォン未満の芸術家に対して、納付した保険料の80%を国が支援する制度があります。これは事業主も支援を受けられます。この情報が現場になかなか伝わっていないということも現状として指摘されています。また、保険の手当については失業手当と出産前後手当があります。失業手当の支給水準を見ますと、上限額が勤労者と同じ1日あたり約6,600円となっており、加入期間と年齢に応じて120日から270日間支給を受けることができます。また受給要件として、転職日より前の2年間に9ヶ月以上雇用保険料を支払っている必要があります。

ではなぜこのように芸術家福祉法ができたのか。まず韓国では1972年に文化芸術振興法が制定され、文化芸術に対して支援を進めてきました。しかしここでは芸術家が創作を行うための労働環境に着目した支援はほとんど行われておらず、主に創造活動、文化施設の建設や運営、文化享受などに対する支援がすべてでした。そして1980年代に芸術家に対するセーフティネットの必要性を求める声が文化芸術界の中で湧き上がってくると、芸術家にも通常の社会保障制度、国民年金や雇用保険、労災保険などの資格が必要であるということが指摘されました。しかしそれに対して政府の政策的な支援が進むことはありませんでした。ただそこから文化芸術関係者の内部で芸術家の福祉を改善するための取り組みが始まり、1981年に初めて芸術家のための医療保険組合が設立されました。その後映画人福祉財団が設立され、また2002年には大統領候補のマニフェストの中に「文化芸術家福祉組合設立」という内容が盛り込まれましたが、残念ながらその候補者は落選となり実現することはありませんでした。そして2003年に彫刻家ク・ボンジュさんの事件が起きることになります。

この年、彫刻家であるク・ボンジュさんが展示会の準備中に交通事故に遭いました。

遺族は加害者が加入している保険会社に8億ウォン(約8,200万円)の損害賠償を求め、一審では被害者側の過失25%、芸術家経歴5-6年、定年65歳等を基準に保険会社に賠償金を支払うよう判決が下されました。しかし、保険会社は、被害者側の過失70%、定年60歳、なおかつ収入に対する証明資料が無いとして「都市日雇い賃金」を適用すると控訴しました。「都市日雇い賃金」とは日雇い労働者のみならず、無職者の最低収入を保障するための基準でもあるので、芸術家の職業的地位を認めないことと等しいです。文化芸術関係者は、故ク・ポンジュ訴訟解決のための芸術家対策委員会を発足し、保険会社の建物の前で数日間「一人デモ」を行うとともに、声明文を出しました。結局2005年10月保険会社が控訴を取り下げましたが、この出来事を通じて、社会において芸術家が職業人として社会保障を受けられないこと、また、芸術が社会的価値を持つ「社会的労働」として認められていないことを痛感させられたのです。

2004年に廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権になると、文化政策の中で初めて芸術家の社会的地位の向上が課題として出され、政策として盛り込まれました。たとえば、4大保険(医療保険、国民年金、雇用保険、労災保険)改善のために芸術家の福祉を促進する、「韓国芸術家共済会」(仮称)を設立する、芸術家の社会的地位を保障するための制度を導入する等が計画されましたが、当該政権では実現することができませんでした。しかし「芸術家福祉」が文化政策の主要内容として明確に位置づけられることになりました。

2004年第17代総選挙では各政党から芸術家福祉関連の公約が提示され、たとえば「芸術家共済会制度導入」「文化芸術家の最低生活費維持の支援法案作成」等が掲げられました。また、2005年に韓国演劇人福祉財団と全国映画産業労働組合、2007年に全国美術家労働組合と全国ダンサー支援センターが発足する等、芸術家福祉政策は政府の支援より先に、文化芸術関係者が中心となり実質的な取り組みの動きが出てきました。

2009年からは「芸術家福祉法」制定案が国会議員により各々発議されたことにより法制化が政治的に推進され始めた。主な内容として「芸術家を現行の雇用保険および労災保険制度に編入する方案」、「芸術家福祉基金設置および運用」、「韓国芸術家福祉財団設立および運営」などがあります。10月には法務部、企画財政部、労働部、行政安全部の政府省庁への意見照会を経て、2010年2月に国会の文化体育観光放送通信委員会に法案がかけられましたが、関係省庁内の法体系の問題、財政問題などの否定的な見解などが提示され、2010 年内には法制定までには至りませんでした。

こうして動きに停滞が見られた中、2011年に若手のシナリオ作家であるチェ・コウンさんが生活の困窮と持病によって死亡するという痛ましい事件が起きました。 彼女は非常に有望な若手芸術家で、国立大学で映画を学びました。優秀な芸術家でも生活することが困難であることが知られたこと、こうした「豊かな」時代に餓死だったことが韓国内において強い衝撃を与えました。若手芸術家の死が社会問題となり、世論の声をバックに、先に発議された2つの方案のほか、2011年にはさらに2名の議員がそれぞれ案を発議し、合計4つの方案が国会に提出されました。世論の支持と国会、行政、芸術界が協力しつつ、芸術家福祉関連の法律が制定される勢いに繋がりました。そして、4つの方案の内容を総合的にまとめて、2011年11月17日に芸術家福祉法が制定されることになりました。

ここからは芸術家福祉政策基本計画に提示されている成果と課題について話します。

芸術家福祉政策の成果としては、まず芸術家の福祉および権利保障に関する法制度を整備することができたことが挙げられます。。「芸術家の地位と権利の保障に関する法律」は2021年9月に制定されたのですが、検討され始めたのは、2017年からでした。

なぜこの時期に芸術家の権利保障について議論が湧きあがったかといいますと、そこには朴槿恵(パク・クネ)政権時に起きたブラックリスト事件とMe Too運動が背景になっています。そのため芸術家権利保障法の主軸は、芸術表現の自由の保障と芸術家の職業的権利、またその保護と促進、芸術活動における性平等の環境整備となっています。

2つ目の成果としては、芸術分野に合わせた福祉セーフティネットが構築されたことが挙げられます。芸術家の生活を安定させるための資金の融資が新設され、また芸術家創作準備金も大幅に拡大されました。さらに芸術家の子どもケアを支援するための施設が設置されるなど、様々なセーフティネットが構築されました。

3つ目は、芸術家の不公正慣行改善のための制度的基盤を作ることができた点です。韓国では、文化芸術分野における標準契約書が法律制定後の比較的早い時期から推奨されてきました。書面の内容については福祉財団が毎年更新を行い、現場の状況に合わせて開発しており、現在では11分野73種類の標準契約書が作成されています。また芸術家のオンブズマン制度、セクシャルハラスメント、性暴行の被害申請相談センターなどの基盤が作られています。

しかしながら課題もいくつか挙げられており、ひとつは現在までに実施されてきた福祉政策が断片的なものだったのではないかということです。これまで基本的に中心となってきたのは経済的支援の部分であり、より芸術家の地位や権利保護を推進する、あるいは教育訓練支援を行うところまでの拡張には至っていなかったのではないか、今後は総合的芸術家政策に発展すべきであるという点が指摘されています。

2点目として、現在は現物支援の福祉政策が中心になっているため、社会保険の強化など政策を多様化していくべきなのではないかという点が挙げられています。コロナ禍による経済的混乱が生じたこともあり、生活に対する現金支援だけが突出して拡大しました。この現金支援を受けるために芸術活動証明への申請者が急激に増加したのですが、大勢を短時間で審査する体制が整っていないため、結局審査が滞ってしまい、それによって適時の支援ができなくなり、行政はその課題を改善することに追われました。ここでは経済的な困窮だけではなく、芸術家のどこに困難が生じているのか、どんな悩みを抱えているのかといった芸術家全体の状況に目を向けて、より多様な政策的・制度的対策の検討が必要だと言われています。

3つ目は、供給者中心の政策だったのではないかという点です。行われているのが一律基準による支援のため、異なる経歴や活動特性を持つ芸術家のニーズは様々なはずでしたが、それが反映されないまますべて一律で実施されてきてしまったことが課題として挙げられています。また現行の芸術家福祉政策は通常の勤労者と「芸術家」の職業環境の違いに集中して設計されている。ですが、「芸術家」の創作活動を包括的に扱っているので、芸術ジャンルの個々の活動特性に対しての考慮が不十分だったということも指摘されています。また芸術活動証明制度に関して、より柔軟性を持って進化させるべきであり、芸術家中心のオーダーメイド型の政策が望ましいとの声もあります。

最後に、他分野の省庁と総合的な協力体制が弱かったのではないかという点が挙げられています。福祉財団は様々な機関とネットワークを組んではいたものの、特定の課題が発生する都度ネットワークを構築していたため、常にその方針などについて協力しつつ国全体で連携をしていくというシステムまでには至っていません。その点に対し改善が必要ではないかということ、また中央と地域間の関係においても芸術活動証明 という一部の事業に対しては ネットワークが構築されている一方で、福祉政策全体の方向性が共有されない時があったことや効率的に伝達する仕組みが無いことも指摘されています。また福祉政策というものは文化政策の中だけに留めることが難しいです。福祉政策は労働や雇用条件 、社会保険などの社会の多様なテーマに関連しているということを考慮しながら、様々な機関との協力が必要であり、また現場とのコミュニケーションが必須になります。そのため今後は多様な主体と協力関係を模索すべきなのではないかということが課題として挙げられています。

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閔氏による基調講演が終了した後には、ディスカッションの場が設けられました。まずはアーティストの藤井光より、問題提起がありました。

藤井:丁寧に分かりやすくまとめていただいた今回の内容をお聞きして、改めて衝撃を受けました。日本ではほぼ存在していないものを、次から次へと見せつけられた気持ちで、普段自分たちは日本で制度も何も無い中で活動しているんだなということを改めて認識させられました。そこで質問なのですが、2011年に若手作家の芸術家であるチェ・コウンさんが亡くなったことがきっかけのひとつとなって世論が動き、法改正につながったとありましたが、日本でもこのようなことが起きないようにしなければなりません。ただ、日本の現状では仮に起こったとしても法改正に至るまでの動きが生まれないのではないかという懸念すらもあります。韓国では、芸術家の権利保障を後押しする国民または社会があるように思えましたが、韓国では芸術家は一体どのように市民権を得ているのでしょうか。

閔氏:芸術家が市民権をどう得ているかという点について具体的な回答は持ち合わせていないのですが、彼らは社会保障制度から取り残されてしまっているという現状についてこれまでずっと声をあげており、芸術家の貧困は社会的排除によって生じていると一貫して主張していました。若い芸術家の死によって有望な人であっても社会制度の不備によって生活に困窮しているということが知られ、世論の同情を得ることになり、それが政府の動くきっかけとして大きかったように思います。

一方で、なぜ社会において芸術家が必要なのか、芸術家の価値について社会と共有しつつ、芸術家が本来あるべき姿をどのように理解してもらえるかということが現在の課題となっております。

藤井:日本では芸術家が現在置かれている実態、例えば経済的に困窮している人が多い現状すら世間の関心を得られていません。art for allでは村上さんを中心として、芸術家の実態調査のためのアンケートを実施しました。

村上:我々が報酬ガイドラインを考えるワーキンググループとして昨年行った調査では、芸術家のみならずアートワーカーと呼ばれる人も含め多くの人がが貧困に近い状態にあるということが分かりました。詳しくはWeb版美術手帖のリンクをご覧いただければと思いますが(下記参照)、今後の調査ではアーティストは基本的に貧困の状態にある人が多く、具体的にどのような経済状況におかれているか、その認識から始める必要があると考えております。
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s64

また私の方からもいくつか質問があります。藤井さんもおっしゃっていましたが、日本には無い制度ばかりで、正直に言ってめまいのする気持ちです。韓国では芸術家のための多くの法的整備が行われておりとても素晴らしいと感じました。

そこで質問なのですが、こういった法整備や制度改革を求める主体はいったい誰だったのでしょうか。というのも、art for allでは日本における法整備を求めていきたいと思っています。我々はアートに関わる人たちによる自主的なプラットフォームで、設立の経緯としては、アート関係者として制作活動の補助金も得るのが難しい現状の中で、政治に声を届けるためにはひとつの団体として集まる必要があると認識したために任意団体を立ち上げ、コロナ禍において政府に対しアート関係者への緊急支援を求める署名運動を始めたことが出発点でした。このように我々にとっても政治に声を届けることが重要な位置を占めているのですが、韓国では政治家が大統領に立候補する際のマニフェストの中に芸術家を支援する法整備案を盛り込んでいたこと、政治家が芸術家のために主体的に何かを行っているということが、非常に新鮮に感じられました。日本では、芸術家が自分たちの権利のために闘うことはあっても政治家が芸術家のために動こうとするようなことが現状では無いのですが、韓国ではなぜそのようなことが可能だったのでしょうか。また韓国での法整備において、芸術家が自分の声を届けるということは行われているのでしょうか。また閔先生に近年の日本の文化政策の動きはどう見えているのでしょうか。例えばフリーランス保護新法制定の動きと関連して、芸術家の権利を保護するような流れが見られてくると思うのですが、そこに関してはどう思われますでしょうか。

最後に、こうした日韓における違いを見た後で、日本のこの状況を改善するために、日本はどこから手をつけていけば良いのでしょうか。閔先生のお考えをお聞かせいただければありがたいです。

閔氏:まず誰が主体となって政策を展開してきたかについてですが、これまで2011年に法律が制定され、2012年に福祉財団が設立されました。本来であれば、法律制定後に計画の作成が行われ、総合的な政策決定が進んでいくのですが、実はこの福祉政策の場合、計画ができたのはなんと今年に入ってからでした。ではこれまでどうやって運営を行ってきたのかなのですが、結局のところ、福祉財団が芸術家の困っていたことに対してがむしゃらに取り組んできたというのが回答になります。例えば演劇家たちの稽古時における託児問題について声があがった時、それに対応するための事業が財団内で立ち上がったり、あるいはセクハラなどの性暴力の相談窓口がないという声に対しては、財団内に窓口を設けることで対応し、そしてそこから法律相談やカウンセリングなどワンストップで支援を行うことができる環境を整備していきました。今では逆にそこが課題として指摘されている点でもあり、正直なところこれまで長期的な視点を持って福祉政策を展開できたかと言うとそうではなく、問題が発生するたびにその時の声を受け止めながらとにかく解決していこうということで財団運営がなされてきました。

また芸術家の政治家とのつながりについてですが、これは上の世代と現在の世代とで政治への関わり方が異なっていると思います。上の世代の方は左派としての考えを持つ人も多く、そのため政治家と親しい芸術家も多くいました。しかし今の30代、40代の芸術家はどうかと言いますと、実は先日韓国へ行ってその世代の方と話をしたのですが、政治家は相手にしてくれないため、ずっと門を叩きながら対話を続けていくしかないという声も聞こえてきました。そのため芸術家の困窮というワードが政治家へ声を届ける切り札のようになっていったのだとも思います。そしてそのカードを出すことで政治家も無視をすることはできず、耳を傾けるしかない状況が作られていきたのです。ただやはりそれだけでは芸術家の本当の価値を伝えることにはならないため、今後どのように対話を続けていくのか、韓国でも悩ましいところではあります。

そして今年日本ではフリーランス保護新法が閣議決定され、その中で芸術家が今までなかった社会保障制度の中に組み込まれていくことについては、賛否両論があると思います。韓国の場合は芸術家というカテゴリーを別に置いているのですが、それについても賛否は分かれています。本来芸術家は労働者と同じ体系の中に組み込まれなければならなかったのに、その社会的地位や職業低地位が認められてきませんでした。そのため芸術家を保護するためにあえてカテゴリーを別にしていました。最も望ましい方法は、今後芸術家が社会構成員として他の職業と同様に今ある社会保障制度の中に組み込まれることではないかということも言われています。日本の場合はこれからどういう戦略を練っていくのかですが、もう少し長期的なビジョンが必要に思われます。

最後に、日本の文化政策に関しては、芸術に従事している人々がどのように暮らしていて、何に悩みを抱えているかを政策としてより注目する必要があると思います。今はどちらかというと観光やまちづくり、経済的価値などの方向にベクトルが向いている中で、芸術家がいかに悲鳴をあげているかが分からない状態になっていると思います。なぜ有権者である芸術家がその悲鳴をあげているのかについて政治家がもっと耳を傾けることが必要で、そうすることによって、芸術の本当の価値や芸術家の社会的価値がより見えてくるのではないか、政策形成や決定において芸術家との対話がもっと必要だと思います。

村上:韓国芸術家福祉財団のお話があったかと思いますが、財団設立にあたっての主体は誰だったのでしょうか。また韓国では芸術家の声を政治家に届けて政策に反映させていたとありましたが、政治家が声を吸い上げるための具体的方法についてお聞かせいただけますでしょうか。

閔氏:芸術家福祉財団は韓国の文化体育観光部、日本で言うところの文化庁のような機関が主体となって作られた公共機関になります。

また政治に声を届けるために、韓国には芸術家の統括団体や組合が多数あります。アメリカなどとは異なり組合が報酬の交渉を行ってくれるわけではありませんが、例えば韓国の権利保障の中で、現在法律になったことによって逆に表現の自由についての意味が非常に薄れてきてしまっているため、そこを改正して表現の自由に対する文言をもっと厚くすることを目的とした労働組合なども生まれています。政治家が芸術家の声を吸い上げる点に関しては、多くの政治家はなかなかそこまで行ってくれないため、あきらめずに声を届けることが重要になっています。

藤井:art for allでは、日本での政策決定に芸術家が参加したいとずっと声を上げてきました。そこで質問なのですが、韓国での政策決定の合意形成のプロセスにおいて、芸術家の権利団体などを通して政治家が声を聞くような仕組みがあるのでしょうか。それとも社会的に声を上げ続けた結果、文化庁に相当する機関がその声を拾い上げる形や、団体交渉と言いますか. 例えば美術館やギャラリストが政策決定の場には呼ばれていると思うのですが、そういった仕組みはあるのでしょうか。

閔氏:韓国の政策を作る過程においては、まず政策を研究する国の機関がありますが、日本と同様に検討委員会が発足されます。現在はその検討委員会の中に芸術家組合の関係者などが名を連ねています。

実は芸術家のための権利保障法の制定にあたってはひとつ興味深いことがありました。まず当時の政策検討の場には現場の方々がたくさん参加しており、議論を進め、当事者の意見を吸い上げて法律を作成しました。そしてこれは良し悪しある話なのですが、本来権利保障法はもう少しすっきりとした法体系になるはずだったにもかかわらず、非常に細かいところまで法律に記載されることになりました。これはやはり現場を背負って参加している方々の譲ることのできない部分が影響していたと考えられます。このように、近年韓国内ではガバナンスをとても大事にしていまして、現場の人たちの話を可能な限り政策に反映しようとしています。そして芸術家福祉政策の計画を作るにあたっても、何度も地方へ赴き、シンポジウムや討論会を重ねながら意見を吸い上げ、それを計画に盛り込んでいます。

さらに権利保障法の条文には、政策を作る段階において必ず芸術家が参加することが明記されています。そのため、韓国においては今後も政策を作る過程に芸術家が深く関わっていくことになると思われます。

セミナー参加者からの質問①:芸術活動証明を申請される年代の構成について質問です。20〜30代の構成が半分ということですが、それよりも上の年代が減っていくのはどのように考察されていますか?

閔氏:これに関しては詳しく調査してみなければ分からないのですが、特にコロナ禍において、上の世代の芸術家は芸術活動自体を行うことが難しく、また活動を証明する資料を用意することが困難だったのではないかということがひとつ考えられます。 そして、この芸術活動証明の制度自体への反発もあるのではないかと推測されます。というのも、この制度で証明されるものはあくまでも芸術活動を行っているかどうかだけであり、既に長く芸術家として活躍してきた方からすると、この証明制度は自分よりもキャリアの浅い芸術家とも同列に置かれてしまうことになるため、ベテランの芸術家の方からはそのことに対する怒りの声も聞こえております。それがそのまま申請者数の減少に対する根拠に直結するかは不明ですが、そういったことが起こっているというのもまた事実です。
注)データから見ると、若年層の増加により高齢者の割合は少なくなっているが、数としては増えている。

セミナー参加者からの質問②:なぜ芸術家を特定的に支援するのかという反対意見もあったという話が出ておりましたが、それでも芸術家は他の業種よりも特別に扱うべきという議論があったということでしょうか。

閔氏:これに関しては、正直なところかなり強い反発がありました。しかしながら2011年に若手作家であるチェ・コウンさんが亡くなられた際の経緯などもあり、行政の中ではこれ以上芸術家への支援を後回しにすることができなくなっていたのではないかと考えております。そのように様々な要因によるタイミングが合致したということがあり、枠組みが定められ、整備が進められたのではないかと思います。

セミナー参加者からの質問③:韓国では国家戦略として文化を推奨しているという見立てをよく聞きますが、それとの関係はあるのでしょうか。

閔氏:個人的には直接の関係性はないと考えておりますが、国家戦略として韓国の文化を推奨しながら発信している現状の中で、むしろそれに左右されないように、あるいは引っ張られないようにするためにも、やはり芸術家の地位や権利がきちんと法律で定められているということは重要であると考えております。もしかするとそういった戦略の中で芸術家がまるで道具のように使われてしまうこともあるかもしれません。それを防止するためにも、 権利保障法のような法律があることは芸術家にとっても心強いのではないかと思います。

報酬ガイドラインワーキンググループからの質問(作田知樹):韓国憲法に芸術家の権利が明記されていることはどれくらい影響していますか?

閔氏:これは非常に強い関係がありまして、芸術家福祉政策について論じる場では、毎回この憲法の記載を根拠にしています。しかし逆に私が疑問に思っているのは、なぜ1948年に芸術家を保護するという文言が憲法に盛り込まれたのかということです。実はその時代の芸術家がどのような社会的位置付けにあったかについては、現在ほとんど研究されておりません。ある説では著作権を守るための話なのではないか、つまり芸術家の社会的地位などではなく、芸術家が作り出す創作物を保護するという意味で使われたのではないかとも言われています。しかし実際に著作権法ができたのは1957年で、1948年の憲法にこの芸術家保護の記載が盛り込まれた理由については、その当時の芸術家の位置付けや政府が何を根拠に芸術を捉えていたのかということへの研究がより必要なのではないかと考えております。

セミナー参加者からの質問④:BTSのようなアーティストの兵役免除が国会で審議されたことなど、大衆アートの経済的貢献が、アーティスト全体の権利の議論に波及したということは可能性としてあるのでしょうか。

閔氏:アーティストの経済的価値と権利とは切り分けて考えられている印象です。ポップスの業界はやはり産業を見据えて展開している一方で、芸術家には貧しい人が多いという考え方があるなど、そこは切り分けられていると思います。また若干懸念されている点として、韓国では文化芸術を中核にしたまちづくりの政策に取り組んでいるのですが、前政権までは人と人のつながりを大事にして文化芸術をもってコミュニティを再生していこうという政策だったのが、現政権に変わったことによってより経済的価値が優先されるようになってきました。そのため今後こういった芸術家の権利保障などがどのように位置付けられていくのかについてもう少し注視していく必要があると思っております。

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今回のセミナーによって、日本ではいまだに整備されていない芸術家の地位および権利保障について、韓国の事例を学ぶことができました。参加者からも、日本と韓国でこれだけの差があることに、驚きの声が続いていました。閔先生をはじめ、今回ご参加していただいた方々に改めて感謝するとともに、今後も同様のイベントの企画や他国の事例調査を進めていく予定です。