}
日時:2023年12月14日(木)日本時間20:00〜22:00
場所:オンライン
アーティストの報酬はどうやって決まっているのか?
美術分野の活動発表における報酬のあり方についてより持続可能な形を実現していくため、art for allではアーティストの報酬ガイドラインの策定を目指しています。そのため、報酬および経費の支払いについて実態の把握を目的に「アーティストの報酬に関するアンケート」を実施し、同時に海外事例の調査と既存のガイドラインの翻訳も進めています。美術分野における健全な活動環境を目指して、「アンケート」と「海外調査」の両者を軸に、日本における持続可能な報酬ガイドラインの形を考えます。(art for all)
******
今回は2023年3月31日に行われたセミナーイベントに続く第2弾として、6か国の美術分野における報酬ガイドラインに関する発表を行いました。
【モデレーター】
村上華子(アーティスト/art for all)
木原 進(芸術文化プロデュース/梅ノ木文化計畫)
【レポーター】
イギリス:川久保ジョイ(アーティスト/art for all)
フランス:湊 茉莉(アーティスト/art for all)
カナダ:村上華子(アーティスト/art for all)
ドイツ:三上 真理子(キュレーター&アートプロジェクトマネージャー)
スウェーデン:石塚まこ(アーティスト)
アイルランド:増山士郎(アーティスト)
総括:作田知樹(芸術文化法・政策研究者/実務家)
【関連リンク】
art for all|世界のアーティストフィーから学ぶ(美術分野における報酬ガイドラインを考えるセミナー②)
美術手帖 – 美術分野における報酬ガイドラインを考える
日本經濟新聞 – 展覧会、アーティストの実質報酬ゼロ? 最低基準策定も 「やりがい搾取」を許さない(3)
モデレーター木原進からの概要説明を皮切りに、イベントはスタートしました。今回のイベントはart for allが推進している、「美術分野における報酬ガイドラインを考えるワーキンググループ」の活動の一環として行われたものです。
この活動はまず2022年4月、美術分野におけるアーティストやアートワーカー、つまり芸術従事者への報酬が低い水準で固定されているという懸念の声が上がったことから始まりました。その実態把握のために、美術分野における報酬ガイドライン策定のためのアンケートが実施されましたが、その結果は予想通りと言って良いもので、アーティストとアートワーカーの厳しい活動状況が数字として現れてきました。そして芸術従事者は報酬の仕組みに関して問題があると考えており、ガイドラインの策定や法改正といった新たなルールメイキングを求めている状況にあること、またそのための運動や、こうした報酬に関する問題の啓発や周知、そして相談を行うための社会的主体を求めていることが、その結果から見えてきました。
その一方で、アンケート自体の母数が多いとは言えなかったため、2023年12月31日を締め切りに、再度アンケートが実施されました。そしてそれと並行する形で海外ではどのような事例があるかの調査が行われ、今回のイベントの開催に至りました。
そして木原と共に今回のモデレーターを務める村上華子から、現在助成を受けている小笠原記念財団と今回のイベントチケットの購入者への感謝と共に、報酬ガイドラインセミナーの趣旨説明と2023年12月31日まで実施されていたアーティストの報酬に関するアンケートについての説明が行われました。
「美術分野における報酬ガイドラインを考えるワーキンググループ」の最大の目的は、日本におけるアーティストの報酬ガイドラインの策定にあります。そしてそのために現在二つの軸を中心に活動を行っており、一つが国内アーティストの報酬に関するアンケートの実施、そしてもう一つが報酬ガイドラインを持つ他の国々がどのようにしてそれを定めたのか、あるいはその内容がどのようなものなのかについての調査になります。
このアンケートですが、目的としては美術分野の活動発表に関する依頼や報酬のあり方についてより適正な形を実現していくため、アーティストの報酬及び経費の支払い方法についての実態把握を目的に行ったものです。アンケートの主体であるart for allは、この実態調査をもとに報酬ガイドラインの作成を目指しています。今回のアンケートの調査対象はアーティストのみとなり、アーティスト以外のアートワーカーに関しては今後の調査を検討しています。
報酬の対象となるのは日本国内で2000年以降に実施された各種の企画展覧会、パフォーマンス、レジデンス、コミッションワーク、ワークショップなどで、日本国内の主催者が国外で実施した企画も対象としています。ただし卒業展示、自主企画、公募展、作品売買を前提としたコマーシャルギャラリーやアートフェアでの展示は除きます。基本的には日本国内で実施したもの、そして展覧会報酬が発生するべきと思われる、作品を販売しない発表形態のみを対象としています。前回のアンケートでは、展覧会の報酬形態が多岐に渡るため、回答が難しいケースがありました。今回はそれを反省として一件につき一つの企画の報酬について回答する形式になっています。
イベント内では更に各項目についても説明が行われましたが、特に言及されたのが報酬額や業務内容、完了条件、旅費、その他経費の負担などについて明示されたか、それについて契約が締結されたかどうか、また自身の労働時間の記録についてでした。自身の作品制作時間について詳細に把握していないアーティストも多い中、適正な展覧会報酬を見極める意味でも、対象となる展覧会にどれだけの時間を割いたのかについての記録が非常に重要であることが説明されました。
その後、各国の調査結果の発表に移りました。それぞれの国の事例報告者は以下になります。
イギリス:川久保ジョイ
フランス:湊茉莉(アーティスト/art for all)
カナダ:村上華子(アーティスト/art for all)
ドイツ:三上真理子(キュレーター&アートプロジェクトマネージャー)
スウェーデン:石塚まこ(アーティスト)
アイルランド:増山士郎(アーティスト)
総括:作田知樹(芸術文化法・政策研究者/実務家)
歴史的な経緯として、イギリスの報酬ガイドラインはもともとアーツカウンシル・オブ・グレートブリテンという名称の組織が個展1回につき100ポンド、当時の円換算で3万5900円という標準料金を設定していました。その後90年代に創造性という言葉が持て囃されるようになり、2000年前後のブレア政権(新労働党)ではクリエイティブ産業を活動の中心にする動きが加速しました。そこでは「クールブリタニア」という言葉が作られ、ターナー賞などを海外に売り出すことでイギリスは文化輸出大国になりました。日本やその他の国もその動きに追随していき、日本では「クールジャパン」という動きが生まれましたが、これはもともとイギリスを参考にしたものでした。イギリスではこれらによって仕事のスタイルが多様化し、個人のライフスタイルも変化しましたが、フリーランサーの増加によって多くの人が仕事の自由度や柔軟性を得た一方で、 自らが生活の全責任を負うことになったという背景があります。
a-nという組織が2015年に行ったキャンペーンについての報告書があり、その内容はアーティスト約1500人、キュレーターやギャラリーの代表者約330人に報酬等に関するアンケートを取ったものでした。その中の「アーティストに出展料を支払うべきか」という質問に対し、95%の回答者が支払うべきであると回答しました。またその他の金銭ではない方法でも良いという回答もありました。
「報酬金額はどのように計算されるべきか」という質問に対しては、やや複雑な回答になっており、最も多かったのが、個展やグループ展なのかあるいは既存または新作なのかによって考えるべきだという回答で、約80%の賛成意見で占められていました。
その他には作品の制作時間に対してなど支払われるべきであるなど様々な提案が出されましたが、このアンケートの回答者たちは、報酬を計算する際に様々な要素が考慮されることを望んでいました。また彼らはアーティストと、キュレーターあるいはギャラリーの代表の両方が料金の交渉と計算に関してより透明性を高める必要があると考えていましたが、料金のレベルを規定すべきかどうかについてはあまり明確ではなかったことが回答から分かっています。
「アーティストの報酬はどうあるべきか」という質問に対しては、アーティストと、キュレーターあるいはギャラリー側でほぼ同じ回答をしていました。1ポンドを約180円とした場合、大多数が約18万円から180万円の間と回答しており、ほぼ1/3の回答が54万円から90万円の間の金額でした。
イギリスでは現在3つの団体がそれぞれ報酬ガイドラインを提供しています。一つ目は a-n(The Artists Information Company)で、1980年に設立されており、会員数は3万人となっています。2004年にガイドラインを発行しています。 2つ目は スコティッシュ アーティストユニオン(SAU)です。設立は2012年で、会員数は約1000人、2013年にガイドラインを発行しています。最後はアーティストユニオンイングランド(AUE)という団体で、 こちらは2014年に設立されています。会員数は約1000名から1500名となっており、2017年にガイドラインを発行しています。
a-nの提供するガイドラインは、Exhibition Feeに特化したものになっています。Exhibition Feeとは展覧会報酬の意で、美術館など公的に資金提供される展覧会でのアーティストへの報酬のことです。主催する機関の規模の順に、カテゴリーAからDの4つに分類されています。
カテゴリーAは公に展覧会を行う組織の大半が該当します。年に3回以上の展覧会を開催し、年間予算が約450万円から1350万円の機関になります。新規の作品で約162,000円、既存の作品で約81,000円が推奨されています。
カテゴリーBはギャラリーやアートセンターなどで年に2~3回の展覧会、年間予算1350万円~2700万円の機関が該当します。新規作品約180,000円、既存作品約90,000円が推奨されています。
カテゴリーCはより大きなギャラリーやアートセンターが該当し、年間2回以上の展覧会、年間予算約2700万円から4500万円の機関になります。推奨金額は新作約360,000円、既存作品約180,000円となっています。
カテゴリーDは年間予算約4500万円から約9000万円で年間3回以上の大規模な展覧会を開催する視覚芸術組織、つまり美術館などが当てはまります。新作約540,000円、既存作品約300,000円の報酬が推奨されています。
次にスコットランド・アーティスト・ユニオンですが、このガイドラインはExhibition Feeに対してではなく、様々な業務に対する時給ベースや一開催ごとの報酬の推奨金額が例示されています。業務としてはミーティングやコンサルティング、プロジェクトの企画やワークショップの設営など、あるいはトークイベントやパフォーマンス、レジデンスなどが含まれています。
時給ベースの推奨金額では、新卒アーティストに約4,716円/時間、経験3年以上のアーティストに約6,120円/時間、経験5年以上のアーティストには約7,560円/時間となっています。
ワークショップやトークイベントなどに対する1セッションごとのレートでは、新卒アーティストで37,800円/日(半日18,900円)、経験3年以上のアーティストは48,600円/日(半日24,300円)、経験5年以上のアーティストに60,480円/日(半日30,240円)の金額が推奨されています。
アーティスト・イン・レジデンスにおけるレジデンシーレートは、新卒アーティストで5,100,120円/年、経験5年以上のアーティストで7,482,420円/年を日割り計算した金額が推奨されています。
アーティスト・ユニオン・イングランドのガイドラインはアーティストの資格や活動形態に応じて様々な料金を設定しています。金額の算出方法はスコットランド・アーティスト・ユニオンのアプローチを参考にして作られていますが、1週間の最大労働時間数(研究、管理、開発に35%を充てるため、65%の労働時間に基づく)から、専門的諸経費の平均コストを差し引いたものを、従来の正社員の給与方程式で調整した方程式を用いています。この方法論は、アーティストの収入を他の分野の収入と一致させ、公平な報酬への足がかりを提供することを目的として導入されています。
2023年現在、新卒アーティストの時給は約2,966円、経験3年以上のアーティストの時給は約3,841円、経験5年以上のアーティストの時給は約4,572円と推奨されています。
日給ベースでは、新卒アーティストの場合1日あたり約18,623円、経験3年以上のアーティストの場合は1日あたり約24,443円、経験5年以上のアーティストは1日あたり約30,224円となっています。
レジデンスの推奨年俸(日割り)は、新卒アーティストの場合約2,497,346円、経験5年以上のアーティストの場合約3,661,620円が推奨されており、日割り計算は、レジデンスが20営業日以上に及ぶ場合に適用されます。ビデオ/フィルム作品のようなグループプログラムでの作品発表の場合、アーティストは経費を除いて最低時給で約7,280円以上を交渉することが奨励されます。
また最後に、2023年に発表されたアーティスト報酬や活動の状況についての報告書があります。これは「industria」というアーティストユニットが制作し、a-nが出版した報告書”Structurally F–cked”で、主に美術館などの大きな機関に勤務している人たちへ行ったアンケートをまとめたものになります。ここから分かるのは、イギリスではガイドライン自体はあるものの、これはあくまでも交渉のための材料の一つと考えられており、基本的には両者が同意していれば良いとされることが多いということです。例えば報酬の交渉時に、お互いが予算のすり合わせを行いながら、最終的な合意に導くための叩き台にガイドラインを利用する、あるいは企画者が予算編成を考える際の具体的な金額設定の指標にする。そうした場合にガイドラインを利用することが、イギリスでは推奨されています。イギリスからのレポートは以上です。
フランスでは主に第二次世界大戦前後から、芸術家のための社会的な地位や社会保障を受ける権利などの権利獲得や、芸術家を支援するための組織形成が様々な形でなされてきました。 芸術に関わる文化政策においては、アンドレ・マルローとジャック・ラングという二人の文化大臣が行った政策が現在の芸術家の活動においても重要な位置を示しています。このように芸術家のための様々な権利を獲得してきたフランスですが、芸術家のための報酬ガイドラインを公的に発表したのは、実は近年になってからでした。
フランスの文化政策は共和国の価値と市民性を担保しながら行われてきたことが特徴として挙げられます。1789年の権利宣言によって確立された市民の権利と自由という共和国基本原理を、1946年に制定されたフランス第四共和国憲法は受け継ぎ、国家による個人と家族の発展に必要な要件の確保、それと同時に文化享受についての機会均等の保証が1946年に示されました。
その後シャルル・ド・ゴール大統領時代、アンドレ・マルロー文化大臣の下、1959年に国民教育省から独立する形で文化省が創立されました。ここで重要なのが、単年度予算の束縛と国民教育省の影響から免れるために、文化問題を国家計画の枠内で扱う戦略が打ち出されたことです。これは国の財源を5年単位で計画するというもので、この予算計画から持続的に実施される文化の公共政策が誕生しました。国立現代芸術センターや現在でも各地域圏に存在する地域圏文化問題局(DRAC)という組織などが作られたのもこの時期でした。こういった政策はあらゆる芸術分野の創造を完全に市場に委ねることなく、国の支援によって近代化・制度化し、民主的な配慮のもと現代的な文化の公共政策の基礎を築いてきました。
もう一人の重要な文化大臣であるジャック・ラング文化大臣の時期、政策として文化省の予算が大幅に増加され、対国家予算費が1%に達成したこと、また地域圏文化問題局が、地域自治体と政府との予算において芸術支援を各地域圏で行うようになったことが特徴として挙げられます。このような文化大臣が芸術家に近い立場を取る政策が行われてきたことが、現在に至るフランスのアーティストの立場においても重要な点だと言うことができます。
フランスのアーティスト報酬の柱となるものは3つ存在します。一点目は著作権費で、展示した場合に発生する展示権などの権利から発生する報酬です。そして「オノレール」と呼ばれる謝礼金の報酬、最後に公的な組織などから援助される助成金によるものが、報酬の3つの柱となっています。これらの報酬からその一部を社会保障費として各管理下に支払うことによって 、芸術家という立場における特別な制度を受けながら作品制作ができるシステムとなっています。 これらを管轄しているのが文化省と健康予防省で、この中心になっているのがアーティストのための社会保険の管理窓口であり、職業訓練を受けるための保険費や補足年金を徴収する管理窓口です。
2021年度の調査では、小説家や他の分野も含まれているものの、35万4243人のアーティストが存在する中で、それを普及する側が1711人と非常に少ない状態であることが分かっています。
また年収について、2021年度に調査された内容ではアーティストの年間収入が1015ユーロ以下が半数を占めるという調査結果が出ています。こうしたアーティストの経済状況が危惧されている中で、以下に紹介するいくつかの報酬ガイドラインが立ち上げられた背景があります。先ほどの文化政策の中で、フランスで特に重要な国立現代アート基金(FRAC)がジャック・ラング大臣により設立されたことや、国立造形芸術センター(CNAP)などが毎年芸術家の緊急支援などを行うなど、政府と地方自治体の資金から成る組織による芸術家支援も各地域圏には存在しています。
現在報酬ガイドラインとして公表されているものの1つが、2019年12月18日に文化省から発表されたガイドラインです。これはフランスの美術館において法的に強制力はありませんが、文化省の支援を受けている組織において生存しているアーティストに対しては必ず発生する報酬であると明記されています。こちらは展示期間、展示作品数に関わらず最低報酬は1000ユーロ、グループ展においては参加者に100ユーロが支払われるなどの指標が提示されています。
もう1つはフランス現代アートセンター発展協会が1992年にフランス全体にある54カ所ものアートセンターに赴き、各都市において行われた総会を基に立ち上げられた報酬ガイドラインで、2019年に公表されています。2019年版は文化省の内容と類似したものになっていますが、2024年に発表されたものは、最低報酬金額として個展開催の場合の報酬や展示権の譲渡に関する金額を合計した金額が示され、加えてさらに可能であればこの金額を報酬として支払うべきであるという指標も例示されています。
フランスに存在する報酬ガイドラインはあと2つあり、ヌーベル=アキテーヌ地方とサントル=ヴァル・ド・ロワール地方によるガイドラインとなります。これらは政府とその関与者によって共同で定められた基準で、アートプロジェクトの実質予算を把握するためにアーティストの報酬自体を改善すること、そして異なる組織において公平な条件におけるアートプロジェクトの実現を目指すという目的から生まれました。内容は文化省版やアートセンター協会からのものとは異なっており、フランスにおける最低労働賃金をベースとして展示する際に1日いくら支払うべきであるかが計算できるものになっています。
フランスの報酬ガイドラインについての報告は以上です。
カナダは報酬ガイドラインを語る上で非常に重要です。それは、カナダが1968年に世界で最初に報酬ガイドラインを作った国であるからです。なぜそれが可能だったかというと、1968年はフランスを起点として世界中で学生運動が盛り上がった時期で、北米もその例に漏れず様々な抗議運動が行われました。その中で、ジャック・チェンバースという一人のアーティストが、自分は貧困の中におり、作品を発表しても、展覧会を開催しても報酬がもらえないことはおかしいと発言し、 当時の新聞にアーティストの報酬を定めるために立ち上がろうという意見書と共に、そして自分と共に活動してくれる人への呼びかけを行いました。 そこで出会った数人が、CARFACと呼ばれる現在のカナダにおけるアーティスト連合の母体となる組織を立ち上げ、それが報酬ガイドラインを作る動きに繋がっていきました。その後の動きも非常にスピーディーで、CARFACの母体となる団体を作る際、その趣旨に賛同する人は5ドルの小切手と共に申込書を送るだけでメンバーになることができるという形で組織をまとめ上げ、報酬ガイドラインを作成し、それを州議会に掛け合い賛同を得て、ガイドラインの作成のみに留まらず、それを遵守させるための仕組み作りをも、2~3年の短期間の内に進めました。そのように他国に先んじて報酬ガイドラインを利用していた歴史があるため、今回紹介されている他の国も含め様々な国がガイドライン作成の際、カナダを参考にしていることが分かっています。そのため、我々もこれから日本のガイドラインの作成に向けた動きの中で、やはりカナダのガイドラインの成立の経緯や内容について触れることが、非常に重要な意味を持つはずだと考えています。
上述のようにカナダのガイドラインは一人のアーティストの呼びかけから始まりましたが、その後のルールを実装していくことに際して、CARFACは弁護士や行政の専門家などと連携する形でガイドラインの文書形態を整え、なおかつそうした専門家のチェックを通して年ごとのインフレ状況や物価や地価などに連動させ、またコロナ禍におけるオンライン展覧会の報酬をどうするかなど、アーティストたちの実際の活動状況の変化に即して、改定を行っていきました。また報酬金額を具体的な基準と数字で明記していること、ガイドラインを守らなければ国からの助成金が打ち切られるため拘束力があることなど、そうした部分によってカナダは、コロナ後の各国のガイドライン作りの機運の高まりの中で特に注目されています。
CARFACの報酬ガイドラインにおける最低推奨報酬料金表を見ると、CARFAC-RAAVの表記になっています。RAAVはカナダ国内の中でもフランス文化の影響が強いケベック州におけるアーティスト団体のことで、ある時期から連帯して報酬ガイドラインを運用するようになりました。内容は約4万字と非常に長大で、 それは作品の売買を前提としない展覧会のみならず、 テレビや映画、あるいはCMや広告などを含んだ、ビジュアルアーツ全般をカバーしていることが理由です。
アーティストが展覧会を開催した際の報酬ですが、まず展覧会場の予算規模によって分類されており、カナダ国内で三つのカテゴリー、国外での国際展で二つのカテゴリーに分かれています。さらにそこから個展や回顧展、アートプロジェクトや作品一点のみの出展の場合などによって推奨される最低報酬金額がそれぞれ設定されています。
例えば美術館で個展を開催した場合、約30万円が報酬となりますが、個展の準備のために三か月かかった場合、30万円という金額は高額とは言えません。この金額はあくまでも最低の設定であり、セクション4にあるアーティストプロフェッショナルフィースケジュールに設定されている項目に応じて、様々な追加報酬が加味されることになります。基本前提として、制作費は必ず報酬とは別に請求されます。それに加え、準備のためのミーティングへの参加に対して約3万円、展示の設営に立ち会った場合半日で約3万円、全日だと約6万円が必ず支払われることになっています。加えて展覧会に付随するイベントとしてワークショップやレクチャー、ツアーの依頼がよくありますが、それぞれに金額が設定され最終的に支払われる報酬の合計として現実的な金額を手にすることができる設計になっています。
最後に、現在CARFACの事務局長を務めているエイプリルさんに、パリでお話を伺う機会がありました。そこで日本における報酬ガイドラインの策定についてアドバイスをお願いしたところ、次のような助言をいただくことができました。
まず最初はA4サイズ1〜2枚前後のごく短いガイドラインを素早く発表し、徐々に改定していく中でブラッシュアップしていくという形が良いだろうということ。またガイドラインを遵守してもらうための仕組み作りを行うこと。加えてアーティストユニオンを活用するのも重要であること。そしてとにかく政治を動かすことが大変重要で、特に地元選出の議員と繋がりを持ち、そうした政治家に直接話をしに行くこと。そうしたことを地道にやっていくのが良いだろうということ。また多くの人の声を集め、団結して数の力を利用することで報酬ガイドライン策定という大きな目的のために物事を動かしやすくすること。そうした動きを続けているとバックラッシュも必ず起きるが、それに負けることなく運動を続けていくこと。最後には応援のメッセージも頂きました。カナダの報告は以上となります。
まずドイツの文化政策の特徴を、日本との比較も踏まえて3点ほど挙げたいと思います。最も大きな違いは、地方分権という部分にあります。日本の場合、文化庁が京都へ移転したものの、いまだ東京に一極集中しています。ドイツではナチス時代に全て中央で文化統制した結果、貴重な文化財が消失あるいは国外流出してしまったため、その反省を生かして地方分権が根付いております。基本的にはドイツにある16の州それぞれが、文化政策の主な担い手となっています。
二点目としては、地方分権が浸透した結果、州政府や地方自治体の支援が非常に手厚いことが挙げられます。2017年から2019年にかけて各国の文化政策の予算データを見ると、ドイツの地方政府の文化予算の割合が、他国に比べて非常に大きいことが分かります。
三点目は職業別の労働組合が比較的活発であることです。ドイツでは、鉄道や空港などのストライキにも見られるように労働組合が精力的に動いていますが、美術業界にも同じことが言えます。アートの分野別の職業労働団体などもあり、そこが賃上げ要求や様々な権利を主張する運動を行っています。
ドイツでのアーティストフィーに関連して、アーティストを取り巻く環境労働環境を見てみると、日本と比較してアーティストが社会の中で職業としてしっかりと認知されている印象があります。これは一定の収入を得ていることを証明できるアーティストが、プロのアーティストとして加入することができる社会保障制度があることからも見て取れます。例えばサラリーマンの場合、雇用主が保険料の半分を支払いますが、アーティストの場合は基本的に自営業であるため保険料は全て自己負担になります。ドイツはそもそも保険料が非常に高額で、毎月の負担額が日本よりも高いのですが、その半分を通称KSKと呼ばれる、芸術家社会保障が負担してくれるという制度になっています。またドイツでは、大学などの高等教育機関は基本授業料が無料ですが、これには公立の美術大学も含まれています。 さらにアーティストが主体のアーティスト協会(Kunstverein)が各地にあり、ここの活動も活発です。コロナ禍においては日本でも数多く報道されていましたが、アーティストへの給付金や奨学金が充実している印象があります。
特にコロナ禍に関して言えば、 文化政策を担当する大臣などはアーティストを支援することが西洋型あるいはドイツ型の民主主義表現の自由を確保するという上で重要だという認識を持っていたため、アーティストに対する支援の充実を政治的な意味を求めて主張していました。またそれに関連して、条件付きではあるものの表現の自由が基本法第5条第3項において保証されています。
こうして見ていくと昔からアーティスト報酬も手厚かったのだろうと思いきや、実際に蓋を開けてみると、アートが公益のものであるという認識が背景にあったこともあり、公立の美術館でも基本的に無報酬の状態が長い間続いていたことが分かっています。1972年にBBK(Bundesverband Bildender Künstlerinnen und Künstler)と呼ばれる、連邦ヴィジュアルアーティスト組合が立ち上がり、1974年前後からそうした無報酬で展示することに対する話し合いが行われるようになってきました。そして1989年から90年代半ばまで、これは別の労働組合になりますが、無償で展覧会をやるということに対して反対する署名運動が行われ、1998年にはイエローラインキャンペーンと呼ばれる、ドクメンタで有名なカッセルの美術館をはじめとする、28の美術館の前に黄色い線を引いていくことで来場者にアーティストが無報酬であることの気付きを与える運動が行われました。その後も紆余曲折あり、ようやく2016年にベルリンモデルと呼ばれるものができました。これはベルリン市が制定したもので、公立の美術館ギャラリー等で展覧会をする際は展覧会報酬を必ず支払うことを定めたものです。これは当初個展で1500ユーロだったのが、物価の上昇を受けて2022年に改定され、現在では個展の場合2500ユーロに、9人以下のグループ展では一人につき800ユーロ支払うことが定められました。そのベルリンモデルを受け、2024年からはシュトゥットガルトモデルも始まります。
ドイツの報酬ガイドラインは、まず連邦ビジュアルアーティスト協会が展覧会報酬についてのガイドラインを2021年に発表しました。しかしその翌年、アーティストのための報酬ガイドラインに変更されました。これは、それまで展覧会報酬の支払いを求めるムーブメントだったものが、実際のところアーティストは展覧会以外にも様々なことを行っているため、展覧会報酬だけでは実態にそぐわないのではないかという声があがったためです。アーティストのための報酬ガイドラインは2022年の11月に発行されました。ここで最も強く主張されていることが、アーティストの大半は専門分野における高等教育を受けた専門職であるという考えです。例えば弁護士や税理士、建築家などと異なり、アーティストは貧困に晒されていて、報酬が最低賃金と比較されることはおかしいのではないか、アーティストも専門的な教育を受けている職業であるということを、このガイドラインは訴えています。また興味深いことに自衛のための起業家マインドが非常に重要だとも言われており、投資的労働時間の計算が必要であると主張されています。これは、いかなる労働者であろうと、例えば午前9時から午後5時までの労働に対して100%の力を生産的活動に費やすことは難しいはずで、社会学のある研究では一日の労働時間の内、約2割から2割5分程度は無駄な会話や労働に集中できない時間があるが、一方でこの時間があるからこそ生産的な活動を行うことできるというものがあり、そういったものに対しても、アーティストはより関心を持つべきであるということがこのガイドラインの中で指摘されています。
ガイドライン内では、時給70ユーロ、年収約7万ユーロ程度が妥当ではないかと提言されていて、また展覧会報酬についても、基本料金に基づいて開催する会場や期間、参加人数などに応じて計算することが求められています。しかしあくまでもこれは提言であり、労働組合の一部も兼ねているためか実態との乖離は非常に大きくなっています。
ドイツのガイドラインでは、業務と経費での細分化を進めることで強く可視化させ、それに基づいた根拠を出した上で時給などを算出しています。こうした部分は日本でのガイドライン作成の際にも参考となるように思われます。ドイツの報告は以上ですが、より詳しい内容は別途art for allのウェブサイトに掲載されている、下記のレポートをご覧ください。
SERIES|世界のアーティストフィーから学ぶ |①ドイツの文化政策と報酬ガイドラインの実態
スウェーデンは北欧のスカンディナビア半島に位置しており、国と国民の強い信頼関係と平等と協調という価値観のもと、大きな国民負担によって行き届いた社会福祉の実現を試みています。世界からは、モデル国家のように見られることも少なくありません。
スウェーデンでは、アーティストとして継続的に活動して収入を得る場合、税務署に個人事業主として登録し各種税金や手数料、社会保険料などの支払いを行う必要があります。所得税は最低で約30%、社会保険料は利益の約30%、消費税に相当する付加価値税は25%になります。アーティストへの優遇措置として、作家自身による作品販売は税率が12%になります。発表者が在籍していたスウェーデンの美術大学院では、上記のような個人事業主に必要な経済・会計知識を学ぶ必修のコースが設けられていました。
スウェーデンには全業種に共通する法定最低賃金制度はありませんが、一般的に各業種別の労働組合の強い働きかけによって公平に保たれているという形です。視覚芸術領域においては、 2009年に芸術家協会を含む四つの芸術家団体と政府との間で、美術作家の展示報酬に関する協定「MU-avtalet」が締結されました。経歴や年齢などに関わらず、報酬の基準額を提示したもので、この他にも芸術家協会は美術作家の展示以外の様々な活動、作業やイベントレッスン、審査などへの基本報酬額も設定して提示しています。
展示活動に関する報酬は三種類あり、一点目が一般陳列報酬(Allmän visningsersättning)と呼ばれるものです。これは政府や美術館などの公共機関に所有されている芸術に対しての保証として政府が支給する補助金となります。作品の量や陳列の期間に関係なく、政府によって金額が毎年決定されていますが、近年はほぼ一定となっているためインフレを考慮すると実質金額は徐々に減少していると見ることもできます。また報酬形態が補助金であるため、助成などの形で芸術家に還元されるものとなっています。この形式は図書館での書籍貸出に対して作家に報酬が支払われる作家基金のシステムが基になっています。
二点目は個人陳列報酬(Individuell visningsersättning)です。収蔵されている作品や公共芸術に対して支払われるもので、譲渡された作品が公開される際に芸術家の報酬を請求する権利がないことに対する補償になります。芸術家の著作権に関する経済団体が、作品の販売価格と展示環境に基づいて算出された報酬額を各芸術家に支払う制度になっています。これは楽曲がラジオなどで放送された際、音楽家に報酬を支払う作曲・演奏家協会のシステムを基にしています。
そして最後に展示報酬(Utställningsersättning)になりますが、これは先ほど述べた4つの芸術家団体によって結ばれた協定「MU-avtalet」に従って、主催者が展示に参加する芸術家に対して支払う報酬となります。
上記のような報酬体系がある一方、スウェーデンでは継続的に芸術家の経済及び社会的状況に関する調査が行われています。芸術家協議会が政府統計局のデータに基づいて20歳から66歳のプロの芸術家を対象として調査した結果では、視覚芸術作家の窮状が明らかになりました。また特筆すべきものとして2016年の追跡調査以前の10年間で一般人口の収入が18%増加したのに対し、芸術家の収入はたった4%の増加に留まりました。芸術分野内においても、職種や領域によって大きな収入格差があり、その中でも経済的に最も弱いのは視覚芸術作家であったということが分かりました。またそのような低収入にも関わらず、失業手当などの受給が10年間で30%から12%に激減しており、これは法制度が改正されたことで保険への加入資格が厳しくなったことが原因でした。
2014年のスウェーデン国内データでは、事業活動に対する収入は写真家やイラストレーターが視覚芸術作家に対して約2倍程度になっています。事業活動の収支を見ても、視覚芸術作家は平均値で事業収支がマイナスになっており、これが普通の状態になってしまっているのが現状です。
また同じ統計局のデータをもとにした調査によると、芸術家の教育レベルは一般人口よりも高いものの、本来長期にわたって教育を受けている場合それが高収入につながることが多いにも関わらず、芸術家は収入の中央値が小学校卒業人口の収入をわずかに上回る程度しかなく、一方で芸術家の収入状況を見ると実は資産収入の割合が大きいことが分かっています。
調査報告では芸術家として生計を立てることは可能と結論付けていますが、経済的背景が弱い人にとっては芸術家になる選択肢がそもそもなく、多くの芸術家はその個人の持つ強い社会的・経済的基盤に頼っているのでないかと推測することもできます。
2023年夏にはEU加盟国の専門家による報告があり、芸術家や文化創造の専門家の労働条件の改善が勧告されました。スウェーデンの状況については、一般の社会保障があり、 芸術家の地位や社会保障に関しては政府として特定の制度を設けていないものの、場合によっては芸術家を対象とした特別な解決策も存在しているとしました。
1976年に設立された芸術家評議会(Konstnärsnämnden)は、上述したような芸術家の経済社会的状況を監視、サポートする任務を負った行政機関で文化省の管轄下にあります。芸術家に対しての助成や社会経済的状況の調査報告と共に、芸術家の視点からの政府に対する文化政策の提案なども行っています。 そしてその芸術家評議会の中にある視覚芸術家基金(Bildkonstnärsfonden)が美術分野に対する助成を扱っていますが、 政府からの補助金である一般陳列報酬の基金が原資の一部となり、そこからの助成金がこの基金から分配される仕組みになっています。助成に対するを審査を行うのは推薦や公募により選出された現役の作家や専門家13名で、選考過程においても公平性の担保を重視するために地域性や関係性による不公平が起こらないよう、その審査委員と関係のあった場合は審査から外れるという形をとっています。
芸術家評議会による公共環境の芸術デザインに関する調査報告。芸術家評議会はアーティストに対する助成給付と共に、助成と税金、社会保障制度に関する芸術家のためのガイドブックなどの出版、アーティストの心理・物理的労働環境、デジタル化や社会保障における年齢制限の変更がアーティストに与える影響などの各種調査、失業保険制度の改訂など政府への提案など、アーティストを支えるためのさまざまな任務を担う。(写真:Konstnärsnämnden)
美術領域における助成もいくつか種類があります。アシスタント助成(Assistentstipendium)は若手作家の生活安定とキャリア形成をサポートするためのもので、活動助成(Arbetsstipendium)は作家の芸術活動追求及びそれを深める機会を与えるためのものになります。これは年間約160万円程度を複数年で複数回受給が可能となっているため、何年かインターバルを置いた後また助成に応募することができる形になっています。また個人の予算では実現の難しい企画を支援するプロジェクト助成(Projektbidrag)というものもあります。これは自らの給料も含めた予算を立て、それを申請することが可能です。 またその他にも、IASPISによる国際交流助成などによる作家への支援があります。
先述のガイドライン(MU-avtalet)がスウェーデンにはあるものの、美術館によっては規模に応じて設定されている基準の最低額のみを提示しているという現状もあり、ガイドラインの運用については問題があるように見受けられます。発表者の個人的な経験では他業種との報酬体系の違いに戸惑ったこともありました。美術領域内で完結する仕事の場合はガイドラインを基準に交渉することが可能ですが、発表者は研究教育機関とのコラボレーションがあった際に教育機関の報酬体系を当てはめられてしまい、毎月の給与を得ているわけではない個人事業主にとって非常に不適当な報酬額を提示されたことがありました。
この春にガイドラインの見直しを行うよう政府から命令も出ていますが、どのように改訂されるのかはいまだ不透明です。また現在助成金を得る手段はあるものの、結局のところ美術作家としての活動の中でその助成を得るための申請作業に時間とエネルギーが大きく割かれてしまうことにも戸惑いを感じます。そしてこれまで芸術家を支えてきた芸術家評議会が文化評議会と統合されることになり、それが2026年の1月1日までに実施される予定になっています。これによって、政治上芸術家の視点が弱体化するのではないかと懸念されているのが現状です。スウェーデンからは以上となります。
下記は、より詳しい内容の報告となります。どうぞご参照ください。
SERIES|世界のアーティストフィーから学ぶ|③スウェーデンにおけるアーティストの経済事情とそれにまつわる公的制度
初めに、日本にとっては比較的馴染みの薄い、アイルランドや北アイルランドのことについて説明いたします。アイルランドはイギリスと並んで欧州大陸の北西沖に独立して浮かぶ島国で、発表者が住んでいる北アイルランドは、アイルランドの北部に位置している英国領土であり紛争地帯です。アイルランドはケルト民族が多くを占めるカトリックの国で、ハロウィンの発祥地でもあります。アイルランドの首都ダブリン発祥のギネスビールが、日本でも有名なギネスブックを出版しています。長い英国による植民地の歴史を経て、今から102年前の1922年に独立国家となった国です。
発表者が現在住んでいる北アイルランドは、アイルランドの独立以降も英国領土のままとなっている場所です。そのような歴史的背景から、北アイルランドでは住民の半分がアイルランド系カトリック、半分が英国系プロテスタントで、それぞれ居住エリアが異なり、コミュニティの境界が政治的境界線の高い壁で分断されています。世界の他の紛争地帯と同様に、その分断されたコミュニティの間で人々が争いを続けてきた歴史があります。IRA(Irish Republican Army)による、日本では考えられないような爆弾テロや暴動を、発表者はベルファストに引っ越して以降、自らの住む家の近くでも日常的に目撃してきました。
英国がブレグジットによってEUを離脱して以降、英国とEU加盟国であるアイルランドの境界に位置しているのが、まさに北アイルランドになります。ブレグジット以降、北アイルランドの首都ベルファストの港は、英国とアイルランド、EU間の物量のチェックポイントとなっており、北アイルランドには英国からのいくつかの物流が入ってこなくなり、いくつかの品物が購入できなくなりました。北アイルランドはブレグジット以降の弊害を、よりダイレクトに感じる地でもあります。アイルランド人の大半は今でも、元はアイルランド人の地であった、英国の一部になっている北アイルランドを、アイルランドのものだと思っています。
ビジュアル・アーティストのための報酬ガイドラインを作成した、ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI)が、活動の対象地域に、アイルランドだけでなく、英国の一部である北アイルランドも入れているのはそんな複雑な背景からで、北アイルランドのベルファストには 、VAIの北アイルランド支部のオフィスがあります。
VAIは英国の一部である北アイルランドも含む、南北アイルランドにおけるアーティスト報酬の実態調査を2012年の10月から12月にかけて行いました。その結果を受け、アーティストや芸術団体、助成団体、そして国際的な主要専門組織との協議により、会場とアーティストが公平な報酬レベルを計算し、プログラムの予算を適切に組み、プロのアーティストが非営利スペースで行う様々な作品に対応できるよう、ビジュアル・アーティストのための報酬ガイドラインが、VAIによって作成されました。
Zoomインタビューを行ったVAIのスタッフによれば、ビジュアル・アーティストの報酬ガイドラインは、アーティストと仕事をするアートの組織にとって、報酬を考える上での、あくまでも目安になるものです。そしてアーティストは、報酬ガイドラインを参考にすることによって、機会に合わせた妥当な報酬の相場を知ることができます。公的資金を受けて運営している組織にとっては、それを考慮することが義務になってはいるものの、守らなかった場合に法的な罰則を課せられるものではありません。
最低賃金を考慮して、ビジュアル・アーティストの報酬ガイドラインを作成した後、VAIは自身の媒体でのキャンペーンを行いました。またVAIはアーツカウンシルと共同で、様々なアートの組織に対して、アーティストの報酬を考える際にガイドラインを参照するように促し続けてきました。それらは現在でもVAIが絶えず続けていることでもあります。
アーティストがアートの組織と契約書を結ぶ際に、アーティストが妥当な報酬を受けているのか、VAIの専属の弁護士をアーティストに紹介し、契約書をチェックすることもしばしばあります。
ガイドラインはアーティストのためだけではなく、いくら報酬を支払ったら良いか分からないアート組織にも、有効なソースとして役立ってきました。ガイドラインは展覧会に限らず、ワークショップやコミュニティワーク、アートフェスティバル他、様々なアーティストが遭遇する機会において、報酬を検討する上で有効なものであり続けてきました。
VAIがアイルランドで、これまで行なってきた長年の活動で築き上げた信用と知名度が、報酬ガイドラインのアイルランドのアート業界での普及に大いに役立ったのは間違いないなく、またアーツ・カウンシル等の政府機関と共同でアートの組織に働きかけることによって普及活動を推進してきました。
アイルランドの政府機関は、VAIの意見を聞くことに対して非常にオープンなため、頻繁な情報交換が積極的に行なわれており、政府機関が、VAIの持っている情報を必要としている場合は情報提供に協力します。政府機関とは敵対せず、常に協力しあい、お互いに何を双方に対して提供できるかを自覚した上で、常に持ちつ持たれつの関係を構築してきたことが、彼らからの大きな協力提供に繋がっています。結果としてそのことが、ビジュアル・アーティスト報酬ガイドラインの南北アイルランドでの普及に大いに影響したことは疑いのない事実です。
発表者は、VAIがビジュアルアーティストの報酬ガイドラインを作成する以前から、そして作成後も、その影響が南北アイルランドのアート業界に出て現在に至るまで、実際に南北アイルランド各地のアートの現場で、長年にわたって活動をしてきたアーティストという立場です。実体験に基づいての南北アイルランドでの報酬の実態について興味のある方は、下記リンクをご覧ください。
SERIES|世界のアーティストフィーから学ぶ|②ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI) ビジュアルアーティスト(視覚芸術家)のための報酬ガイドライン
また2022年の5月から北アイルランドを除いたアイルランド国内において、アーティストのためのベーシックインカムが実験的に3年間のパイロットプログラムとして実施されました。アーティストであれば誰でも応募可能で、キャリアやこれまでの活動実績など関係なく応募者の中から抽選で2000人が選ばれました。データによれば、2022年から3年の間、一律で毎週325ユーロ、日本円で約5万2000円弱が支給されます。このようなアーティストを対象としたベーシックインカムを実験的に行っている国は世界的に見てもかなり珍しいと言えます。
最後に、日本にアーティストのための報酬ガイドラインがいまだ存在していない中、 「art for all 報酬ガイドラインを考えるワーキンググループ」の同志たちによって、ガイドラインが初めて作成されることは、アーティストが低収入や無報酬で利用されることが少なくない、日本のアート業界のあり方に一石を投じ、日本のアーティストたちの将来にとって、良い影響を与えるきっかけになっていくだろうと期待しています。アイルランドのレポートは以上です。
今回、各国の話の中で、イギリスは交渉ベースで基本的に報酬額を決定するという考え方、交渉のたたき台となる情報をガイドラインで示し、それを利用してそれぞれの利益を調整していく点が非常にイギリスらしいと感じました。フランスはどちらかと言うとアーティストの持つ権利をベースにしたアプローチで、カナダはその両方を強制力のある形で、なおかつスピーディーに進めていった点が非常に特徴的でした。
まずは現在報酬がきちんと支払われていない、あるいは形式として誰もが必ず支払われるものになってないという部分を、必ず支払われるようにすることや、最初は少ないと感じる金額になるかもしれませんが、それは有料であり報酬が必ず得られるものであるということを明確にする。そしてそれを皮切りに報酬額を拡大していき、より妥当な計算式や方式を考えていくということが重要です。例えば文化施設などの市民が利用する施設の利用料を一度有料に変更した場合、それが無料に戻ることはほぼありえません。これは文化行政的な話ですが、それと同じような考え方で、例えば公的な機関がアーティストに仕事を発注する時に必ずこうした名目の費用が発生し、必ず報酬が支払わなければならないように一度決定してしまうことです。カナダも後に様々な名目でワークショップやトーク、ツアーなどの部分に対する報酬の積み上げができるようになったという話がありましたが、まさにそういった形で、まずは設定してその後より妥当なものにしていくという方式であれば、行政機関としても従わざるを得ないような状況にできるのではないかと感じました。また、特に公的な機関や助成金を受けている機関に限ってそれを守るべきなのか、それとも イギリスのように民間の機関も含めて幅広く交渉の材料としていくのか、日本の水準をどのように細分化することも含め、様々な方法があるように思います。
業務の見える化という点においては、ドイツのように発生している業務を非常に細かく分けて分類していくところと、何故アーティストがきちんとした形で報酬を得にくいのかについてきちんと理論化していくという部分がとても参考になると思いました。
スウェーデンの一般陳列報酬に付随する話として、北欧では公共貸与権というものがあり、図書館で本が借りられて読まれることは間違いなく公益を増大させているが、図書館から直接作家に報酬が支払われない部分を不具合として捉え、それを解消するために作家に対して公共が得ている利益の代償として、国が助成金の原資となるものを拠出しています。そうした発想があるということで、日本でも一時期この公共貸与権の導入を文芸家協会などが働きかけていました。可能性としてはそうした文芸業界と互いの問題点などを共同で啓発していくというアプローチもあり得るのかなと思いました。
最後のアイルランドに関して、後発の動きではあるものの、先行する国や地域の方法を上手く取り入れており、また国の文化政策と芸術家団体との関係作りも良好な印象がありました。またベーシックインカムのことについても触れられていましたが、アイルランドは国家レベルでは初めてアーティストのみを対象にしたベーシックインカムを実験的に行っています。サンフランシスコなどでも、どちらかといえばマイノリティへの機会提供の側面が強いもののアーティスト向けベーシックインカムを行っていますが、アイルランドの場合はその一歩先を行っていると感じました。アイルランドの取り組みは日本にとっても良いヒントになると思われます。例えば契約について、その組合に属しているアーティストが気軽に契約書について事務局に相談し、それを法律家がガイドラインに照らしてチェックしてくれるようなサービスは、この報酬ガイドライングループあるいはart for allにとっても非常に参考になると思われます。実は日本でも、美術家協会などそうしたサービスをやっているところはあるものの、複雑な形でのインスタレーション作品やワークショップを積み重ねて制作するような作品にまで対応できるのか、また弁護士は日弁提携によって規制されているため協会内部からの法律相談に対してグレーな部分もあるなど問題もあります。発表者自身は行政書士ですが、行政書士は提携に関する法的な縛りもあまり無いため、専門的な芸術相談に特化した行政書士チームを作って契約書のチェック業務を行うような体制もあり得るなと思いました。最後に個人的な感想として、今回発表があったような各国それぞれの背景や文化あるいはその社会的な条件が異なる中で、それを日本でどのように進めていくかを考えた時に、いきなり法的なレベルを求めるよりも、報酬ガイドラインの整備に向けた長期の想定と、まず初めにここから始めましょうといった部分を端的に短い形でも良いので進めていくことが重要であると思いました。イギリスの発表の中で紹介されていたような、一回につき、その都度いくらの金額が支払われるというような形式でスタートするのも良いかもしれません。総括としては以上となります。
質問者:ガイドラインが適用されるアーティストと名乗るための定義のようなものはありますか。あるいはアーティストと名乗れば誰でもアーティストになれるのでしょうか。
川久保:アーティスト活動が自らの精神的に最も大きな範囲を占めていて、職業としては必ずしも生計を立てるものではなかったとしても、それが大きなウェイトを占めているのであれば良いのかなと思います。 またアーティスツ・ユニオンが、アーティストとして加入するための条件を出しているので、それを参考にしてみるにしてみるのも良いかもしれません。
湊:ガイドラインが適用されるアーティストの定義として、フランスでは「ラメゾンデアーティスト」というアーティストの社会保障を管理する協会があり、一点でも1ユーロであっても作品が売れた場合、それを税金申告して登録することができるという制度になっているため、そうすることでアーティストという立場を獲得できるようになっています。
村上:今回カナダのCARFACを紹介しましたが、まずそこに加入していればアーティストであるということになります。もちろん加入していないアーティストも大勢います。その他に例えばCARFACへの加入条件としては、①アーティストとして生活している、②アートのディプロマを持っている、③アートを教えている、④定期的に作品の展示をしている、⑤プロフェッショナルである同僚たちによってアーティストだと認められている、この中の一つにでも該当すれば良いとされているため、いずれかに該当していればアーティストを名乗ることができると思われます。
石塚:スウェーデンのガイドラインを見てみると、作品の展示をする人に関してはアーティスト、フォトグラファー、イラストレーター、クラフトマン、デザイナーなどその作品を作った人という定義になっており、プロフェッショナルであるかや経歴などについては定義されていません。ただ「MU-avtalet」協定の発行元である芸術家団体に所属していないアーティストも多く、協定が適用されるかあるいは助成の対象となるか明確な定義はやはり無いと思われます。おそらく先ほど村上さんがおっしゃったような、芸術活動としての何らかの実績や美術学校を卒業しているといった条件があれば資格があると見なされるのであろうと思います。
今回は、日本での報酬ガイドライン策定の参考にするために6か国の報告となりました。カナダ+ヨーロッパ諸国ということで少し偏りが生じてしまったので、その他の国、特にアジアの国々について見識をお持ちの方は是非情報をお寄せください。またアーティストのためのベーシックインカムの話がありましたが、ベルギーではアーティストのみを対象とした失業補償の仕組みを2022年の10月から開始しています。アメリカにW.A.G.E. というアーティスト団体があり、この団体も拘束力のない報酬ガイドラインを発表しています。これらについてもお詳しい方がいましたらぜひお話を伺えますと幸いです。また次回に向けて他の国の事例報告も募集しておりまして、ご協力いただける方はart for allの方にメールをお送りいただくか、こういう方がいますよという他薦でも構いませんので、是非ご協力いただければありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
最後に、今後各国の調査報告のレポートが、art for allのウェブサイト上に掲載される予定です。現在ドイツとアイルランドのレポートが掲載されておりますが、今回発表された6か国の内容についてより詳しく書かれたものが順次掲載される予定になっております。是非そちらもご覧ください。
SERIES|世界のアーティストフィーから学ぶ |①ドイツの文化政策と報酬ガイドラインの実態
SERIES|世界のアーティストフィーから学ぶ|②ビジュアル・アーティスト・アイルランド(VAI) ビジュアルアーティスト(視覚芸術家)のための報酬ガイドライン